筑波商会画廊

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  • 画壇が封印した狂気の鬼才,齋藤富蔵「真珠貝と鳥かげ」40号,デュシャン系の前衛的文脈,驚異の造形力,彫刻的鬼マチエル,宇都宮美術館出品作

    ¥537,000($3,396.44)

    公立の名門・宇都宮美術館が2016年に約140点による大回顧展を開催した齋藤富蔵(1919-1985)の重要作品《真珠貝と鳥かげ》を出品いたします。 齋藤富蔵は長年市場流通がほとんど存在せず、近年になって再評価が始まった日本シュルレアリスムの異才です。 宇都宮美術館では大規模回顧展に加え、開館25周年記念展においてもマグリット、カンディンスキー、デュフィ、杉浦非水らと並び代表的収蔵作家として紹介されています。 海底と宇宙が交差する幻想世界 本作《真珠貝と鳥かげ》は、齋藤富蔵が成熟期に到達した独自の詩的シュルレアリスムを象徴する秀作です。 静かに輝く白い真珠貝。その傍らには鳥の影が浮かび上がります。 しかし画面は単なる静物画ではありません。 海底の堆積物にも見え、 宇宙空間の星雲にも見え、 生命誕生以前の原初世界を覗き込んでいるような不思議な感覚を与えます。 真珠貝は生命の記憶。 鳥は飛翔や精神性の象徴。 齋藤富蔵は日常に存在するモチーフを用いながら、それらを神話的な存在へと変容させています。 圧倒的なマチエール 本作最大の魅力は、その凄まじい物質感です。 画面全体には砂や樹脂を思わせる厚い絵肌が構築され、光の当たり方によって様々な表情を見せます。 平面作品でありながら、まるで浮彫や壁面レリーフのような存在感を持っています。 宇都宮美術館図録でも、この時代の作品群は齋藤富蔵独自の厚塗りマチエールが重要な特徴として紹介されています。 見る角度や光線によって印象が変化するため、実物は写真以上の迫力を備えています。 日本シュルレアリスムの異端 福沢一郎や古賀春江が日本シュルレアリスムの先駆者だとすれば、齋藤富蔵はその思想を独自の自然観と生命観によって成熟させた作家といえるでしょう。 巨大な蝶。森。牛。真珠貝。鳥影。 齋藤作品に登場するモチーフは、常に生命の循環と精神の変容という主題へ結び付いています。 本作もまた、その世界観を体現する重要な一作です。 約140点もの回顧展が開催されながら、長年ほとんど市場へ出なかった稀有な作家・齋藤富蔵。 本作《真珠貝と鳥かげ》は、 詩的シュルレアリスム 圧倒的な物質感 独自の生命観 深い精神性を兼ね備えた、富蔵芸術の本質に迫る重要作品です。 紀尾井町の弊社画廊でも展示中のため、店頭販売の際は出品を取り消す場合がございます。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  真珠貝と鳥かげ  1969年 (図録Ⅱ-39)  第15回一陽展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P57掲載 技法  紙にミクストメディア 水彩、アルファメディウムや砂。のちパネルに裏打ち サイズ  約P40号 102,4*69,1cm 額サイズ  106,5*73cm サイン  右下にサインあり。 状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。箱なし。薄い板が側面に貼ってあるだけなので額縁とは言えませんが裏板もあり吊ひもも付いております。 備考  真作保証します。

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  • シュールの鬼才,齋藤富蔵「スケッチブックの8図柄」自蛾像や遊画その他の下絵,伝説の画廊MITUGIの包装紙も貴重,重要作品

    ¥218,800($1,383.88)

    戦後美術史の再検証対象として注目される画家・齋藤富蔵 2016年、宇都宮美術館では約140点に及ぶ大規模回顧展「齋藤富蔵展」が開催されました。 齋藤富蔵(1919-1993)は長年にわたり広く知られた存在ではありませんでしたが、宇都宮美術館はその画業を再検証し、大規模な回顧展を実施しました。 同館は、ルネ・マグリット《大家族》をはじめとする国内有数のシュルレアリスム・コレクションを所蔵することで知られており、日本の近現代美術を独自の視点で紹介してきた美術館です。 本回顧展は、宇都宮美術館初代館長であり、美術評論家としても国内外で活躍した谷新氏のもと開催されました。 また、全国美術館会議機関誌『ZENBI』では、足利市立美術館館次長兼学芸員であった江尻潔氏が本展について論考を寄せており、齋藤富蔵の作品について、既存の戦後美術史の枠組みだけでは十分に位置付けることのできない可能性に言及しています。 東京新聞文化欄においても、 「これほど本格派の作家が埋もれていたとは」と評され、その独自の表現世界が紹介されました。 宇都宮美術館開館25周年記念展(2020年)の広報物では、収蔵作品の中から選ばれた代表的作品群のひとつとして齋藤富蔵作品が掲載されています。 近年、その作品群はあらためて検証の対象となりつつあります。 新発見「鳥・蝶 専用肉筆下絵集」 本作は、ご遺族のもとから発見された「鳥・蝶専用」と記された肉筆下絵集です。 走り書きのメモや単純なラフスケッチではなく、繊細なデッサンと着彩が施された作品群が収録されております。 後年の蝶・蛾をモチーフとする重要作群へ至る作家の思考や造形感覚をうかがうことのできる貴重な資料です。 吉祥寺「画廊MITUGI」の包装紙カバーについて 本スケッチブックには、1960年代の吉祥寺ダイヤ街に存在した「画廊MITUGI」の包装紙がカバーとして使用されています。 また表紙には、作家自身によるものと思われる「鳥・蝶専用」との書き込みが残されています。包装紙とスケッチブックがどのような経緯で結び付いたかを示す資料は現在確認されておりませんが、当時の制作環境を伝える興味深い痕跡といえるでしょう。 包装紙に残る「吉祥寺ダイヤ街」の表記も、時代を伝える資料として味わい深いものがあります。 蝶・蛾シリーズの源流を示す資料 宇都宮美術館図録において谷新氏は、1960年代半ばの「自蛾像」シリーズについて言及しています。 本下絵集には、後年の蝶・蛾シリーズへつながると思われるモチーフや観察描写が多数見られます。 繊細なインク線や羽の描写、水彩による着色からは、後年の大作群に共通する造形感覚を随所に見ることができます。 単なる下絵というよりも、作家の観察力と造形意識が凝縮された肉筆資料として興味深い内容です。 本作品について 本作は完成作品ではありません。しかしながら、齋藤富蔵がどのような視点で自然を観察し、どのように形態を組み立てていったのかを知ることができる一次資料です。 近年、美術館による回顧展や研究によって再評価が進みつつある齋藤富蔵。 本資料は、その創作の源流に直接触れることのできる貴重な肉筆作品群としてご覧いただければ幸いです。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中のため、ご入札前に店舗販売が成立した場合は出品を取り消す場合がございます。 何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  スケッチブック 8作 技法  紙に水彩 サイズ  シートサイズ24,5*18,7cm 額サイズ  なし サイン  すべてにサインあり。 状態  作品大体良好。多少微細なしみがあるものもございます。「自蛾像」の下絵はしわやしみが目立ちます。 備考  真作保証します。 本スケッチブックについて 本スケッチブックには、後年の代表作へと発展してゆく着想の断片が数多く収められています。 なかでも《自蛾像》や《遊蛾》へ連なる図柄を含んでいる点は大変興味深く、齋藤富蔵作品を理解する上で貴重な資料といえるでしょう。 完成作品は多くを語りません。 しかし下絵には、作家が何を見つめ、どのように思索を重ね、どこへ向かおうとしていたのかが率直に現れます。 私自身、作品群を整理する過程で数多くの資料に触れましたが、齋藤富蔵ほど自身の仕事を丁寧に保存し、その軌跡を誠実に残した作家は決して多くありません。 新聞挿絵のスクラップ、掲載記録、下絵、素描。 それらは単なる保管ではなく、自らの表現に対する責任感の表れであったように感じます。 本スケッチブックもまた、そうした作家の几帳面な仕事ぶりと探究心を今に伝えるものです。 作品を所有する喜びとは少し異なり、作家の思考の過程や創作の源泉に触れる楽しみがあります。 齋藤富蔵の世界をより深く知りたい方にとって、完成作品とはまた異なる魅力を持つ重要な資料ではないでしょうか。

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  • 戦後日本前衛を再編成する鬼才,齋藤富蔵「天と地(存在の秘密にせまる)」P100号,魂の起源と帰還,存在論的シュールレアリスムの名作

    ¥9,920,000($62,742.52)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。  「日本のトマト王」に捧ぐ神話的オマージュ―― 作者の実家とカゴメ栃木工場設立でご縁のあったカゴメ創業者、蟹江一太郎氏のオマージュ作品の一枚でございます。 蟹江氏のオマージュでありながらトマトの「赤」も、蟹江氏の「ご尊顔」も一切描かれていないこの『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号が、なぜ至高のオマージュになり得るのか。その答えは、表層的なモチーフを排除することで、蟹江氏が成し遂げた偉業の「精神的本質」そのものを、天と地の壮大なシュールレアリスム空間へと昇華させているからです。「存在の秘密」に直接肉薄する精神的オマージュです。 天に浮かぶ「大地の塊」と「白い人型」:無から富を築いた創業者の孤独と魂 画面上部、青空に突如として浮かぶ巨大な断層の塊。その上には、横たわる「白い人型(あるいは胎児のような残像)」が描かれています。 これは、荒野を開墾し、日本にトマト栽培とケチャップという一大文化を「無から創り出した」蟹江一太郎氏の「孤独なる創造主の魂」そのものです。マグリットが『ピレネーの城』で宙に浮く巨石を描き、日常の重力を否定したように、齋藤富蔵は「大地そのものを天に浮かべる」という極限のデペイスマンを仕掛けました。地を這う泥臭い農業(トマト栽培)から出発し、やがて日本の食文化の頂点(天)へと昇り詰めた蟹江氏の生涯。天に浮かぶ不気味なほどの地層の質量は、氏が背負った「大いなる開拓の歴史」の物質化であり、その上に佇む白い影は、偉業を成し遂げた経済人の張り詰めた精神の純度(孤独)を象徴しています。 地に厳然と佇む「円形の神殿」:文化の礎の定着 画面右下には、古代の円形遺構や神殿、あるいは強固な石造りの基壇を思わせる建造物が、地平線を見下ろすようにどっしりと接地しています。 これは、蟹江氏が築き上げ、今日まで揺るぎなく続く「カゴメという企業の堅牢なる礎(帝国)」、あるいは偉大な先人を祀る「精神的記念碑」の表現です。1961年の「土器のスケッチブック」で、太古の器の永遠性に魅了された齋藤富蔵にとって、「歴史に残る偉業」とは、このような不滅の石造りの構造物として脳内に視覚化されたはずです。天の「浮遊する精神」に対し、地には「永遠に動かない強固な文化の定着」を配する。この天と地の対比構造そのものが、一人の人間が成し遂げた有形無形の功績に対する、最大級の美術的賛辞となっています。 「青」と「緑」の色彩表現:トマトを育んだ「大自然の生命力」への還元 トマトという果実そのものではなく、それを育む「天の恵み(青空)と、大地の生命力(緑の草原)」への還元です。 どこまでも広がる水平線、静謐な青空、そして手前にびっしりと「逃げのない点描」で敷き詰められた緑の平原。この自然の圧倒的な美しさと不気味なまでの静けさこそが、蟹江氏が一生を捧げて対話し続けた「大自然(農業)の本質」です。「貴方が愛し、戦い、そして手懐けた天と地のエネルギーは、これほどまでに壮大で、神秘に満ちたものだった」という、職人(斎藤)から偉大なる開拓者(蟹江氏)へ贈る、最も高潔で手垢のついていないオマージュの形がここに完成しています。 慕ってた蟹江氏の旅立ち。齋藤は「人はどこからきて、どこへ向かうのか」という普遍的な問いを静かに投げかける。日本シュールレアリスム史上でも極めて特異な作品でございます。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  天と地(存在の秘密にせまる) 1975年 (図録Ⅱ-46)  第10回陽峯展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P59掲載 技法  木枠に張ったキャンバスに水彩 サイズ  P100号 162*112,5cm 額サイズ  115*164,5cm(側面に板が張ってあるだけです。額なしと思ってください) サイン  右下にサインあり。裏木枠に出品票貼り付けあり。 状態  作品良好。キャンバス裏は目立つしみが所々あります。 備考  真作保証します。 2016年、宇都宮美術館では「齋藤富蔵展」が開催されました。 齋藤富蔵は、長年にわたり広く知られた作家ではありませんでした。しかし、同展を実際に鑑賞した美術関係者からは、その作品について極めて注目すべき評価が示されています。全国美術館会議の機関誌『ZENBI』Vol.10では、同展について紹介され、図録巻頭論文における宇都宮美術館・谷新氏の見解として、齋藤の表現について、「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」との評価が紹介されています。さらに、齋藤については、「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識」を持つ作家として論じられ、今後の検証によって、戦後美術史に新たな解釈の切り口と可能性をもたらすことが期待される、という趣旨の考察が掲載されています。また、同誌でこの展覧会を論じた足利市立美術館・江尻潔氏も、齋藤の作品について、既存の美術史の主流とは異なる魅力や、同時代の「はやり」に流されなかったことによって生まれた強いメッセージ性に注目しています。 そして、既存の評価軸だけでは捉えきれない作品を見いだすためには、今後「さまざまな尺度」が必要であるとの考察へとつながり、既に評価されている作家と、これまで見落とされてきた作家が新たに結び付くことで、美術史に新しい「星座」が描かれていく可能性が示されています。 これは、単に「知られていない地方作家」という一面的な評価ではありません。 2016年の時点で、全国美術館会議の機関誌において、齋藤富蔵という作家の表現が、既存の戦後美術史の尺度だけでは十分に位置づけられない可能性が、専門家によってすでに指摘されていた。 本作品をご覧いただく際には、現在の市場での知名度だけではなく、こうした既存の美術館・美術関係者による評価も含め、作品そのものをご自身の眼でご判断いただければと思います。 齋藤富蔵の作品が、これからどのような美術史的位置を与えられていくのか。 その可能性を考えるうえでも、2016年の展覧会と、それをめぐる当時の批評は重要な記録の一つです。 そして、これは私自身の評価を押しつけるためのものではありません。 2016年の時点ですでに、美術館関係者によってこうした問題提起がなされていました。ぜひ現在の作品を、皆様ご自身の眼で実際にご覧いただければと思います。 出典:全国美術館会議『ZENBI』Vol.10(2016年) 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人 ——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙 近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。 本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。 観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。 1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行 シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。 先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。 2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克 詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。 齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。 3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着 思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。 先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。 彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。 直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。 「斎藤富蔵展」宇都宮美術館・館長谷新氏 評論文 書き出し一部 まだまだ発掘し検証しなければならない作家は多い。宇都宮が生んだ齋藤富蔵という画家もそのひとりである。この画家のことは10年ほど前まではほとんど知らなかった。宇都宮ゆかりの作家のひとりとしてその存在は名前程度に念頭にあっただけである。 10年ほど前、その遺作をまとめて見る機会があって、その表現の特異性に目を見張った。早速、学芸員が調査に入り、展覧会以前にまず遺作のうちの数点の寄贈を受ける。それらのうち何点かはすでに美術館のコレクション展でも展示され、異風を放つその表現に感じ入ったひとも多いだろう。ともかく単純にいって変わっているのである。 変わっているのは根拠や背景がなく変わっているのではない。その表現は、生きた時代や流行の表現状況に類同した表現ではなく、はっきりした自分の立ち位置や絵画に対する考え方が明確に備わっている。くわえてこれらの絵画は、モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、それを実現しようとするコンセプトのほうが先行して顔料などの使用素材、布や紙など支持体の研究がおろそかにされがちである。 齋藤富蔵の表現は、この両方がバランスよく追求されている。というより、表現方法的に見れば、すでにバランスは欠いているといったほうが正確かもしれない。全体をまとめ上げるという表現全体の問題意識と、イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させるばあいが見られるなど、表わされた全貌をもってまとまった絵画とする考え方からはおおいに逸脱しているといわざるをえないからである。両極端、いわば北極南極の両極性に向かって、天秤のバランスをとるようではなく、それぞれの極性に向かって他極をさして考慮しないかのようなディテールへの介入をおこなうのである。それは後述するようにアカデミックな表現観にもとづくのではなく、その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせるだろう。 激動の戦後美術史の多様な表現動向に拮抗し、あるいはそれらを潜り抜けながら齋藤がめざした世界とはいったいどのようなものだったであろうか。国内はもとより海外で今日きわめて高く評価されるようになった「具体」、「もの派」などに代表される日本の戦後美術は、ある特定のエコールに偏重した傾向を近年ますます示しつつあり、同時に解釈もステレオタイプ化して新しく次代に連なる解釈の可能性が見出しづらくなっていることも事実だろう。 齋藤富蔵の表現についてまずいっておかなければならないことは、そうした戦後日本の注目を集めるインターナショナルやグローバルな規範に準拠した表現と比較対照はできるが、むしろそれらとの関係は希薄というに近い、ということである。そうした従来の美術史の水準では語りえない独自の表現を生み育て形成しえたこと、齋藤富蔵はまさにそのことによって戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識を示し、今後さらに検証の機会を積んで、新しい解釈の切り口と可能性を戦後美術史に記すようになるだろう。 齋藤富蔵先生の作品群の背後には、西欧前衛の巨頭マックス・エルンストとの凄まじい精神的対峙の歴史が隠されています。 宇都宮美術館の公式図録において、谷新氏が明確に論じた齋藤富蔵の「思想の設計図」の本質をここに開示いたします。 ■ 1. 幻の名作『天と地(存在の秘密にせまる)』への最大級の賛辞 カゴメの創業者・蟹江一太郎氏へのオマージュとして知られる100号大作には、トマトを描いた具象画の他に、もう一点、同年に制作された『天と地(存在の秘密にせまる)』が存在します。 公式図録論文において、谷新氏はこの作品を「物象をほとんど抹消し、広大無辺な空間にエルンストの技法を思わせる雲が描かれている。この作品も出色のコンセプトと出来ばえをもっている」と大絶賛しています。カゴメの広告という商業の枠(記号)をあえてすべて引き算し、天と地の壮大な宇宙空間へと昇華させたあの造形美は、美術館長が「出色のコンセプト」と認め、その高い格付けを公式に保証しているのです。 ■ 2. 実際にアトリエに遺されていた「エルンストの図録」という生々しい物証 論文では、「実際自宅にはエルンストの日本で開催された図録もあったという」と、齋藤先生が世界の最前線のビョンを生々しく手元に置き、そのマチエール(物質的皮膚)の特異性に強い興味を抱いていた事実が公式に記録されています。 先生は、国立西洋美術館に収蔵されているエルンストの名作『石化した森』に見られる表現法に、自身の方法との強烈な類似性を見出していました。先生が1960年の最初期に何度も描いた『大谷石採掘場』における工具の規則正しい削り跡のテクスチャが、すでにエルンストの高度な技法(グラッタージュ)と完全に共鳴していたのです。 ■ 3. エルンストの「偶然」を拒絶し、みずからの「人生訓」を刻んだ野生の強度 しかし、齋藤富蔵はただの模倣者では断じてありません。論文は、エルンストと齋藤富蔵の「決定的な違い」をこう結論づけています。 エルンストは、キャンバスの下に物を敷いて模様を擦り出す方法を用いることで、あえて表現者の「精神の反映を遮断(カット)」しました。それに対して齋藤富蔵は、偶然に頼ることを完全に拒絶しました。先生は、画面にこびりつくような気の遠くなるような細かい描写(インクの点描やハッチングの累積)を徹底的な肉体労働によって重ねることで、キャンバスの上にみずからの「精神と人生訓」をダイレクトに反映させたのです。大きいもの(牛)と小さいもの(蝶)の不気味な対比のなかに、自らの全人格を叩き込む。この「逃げのない執念の描写力」こそが、西欧の巨匠たちを遥かに置き去りにする、齋藤富蔵という規格外の天才の証明です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」と公立美術館のトップが認め、その精神的ルーツがエルンストの図録という遺品によって完全に証明された絶対的な血統(プロヴェナンス)。 彼は日本の閉塞した近代洋画の情緒を完全に無視し、最初から世界の頂点と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の職人です。 齋藤富蔵先生の作品群の背後には、西欧前衛の巨頭マックス・エルンストとの凄まじい精神的対峙の歴史が隠されています。 宇都宮美術館の公式図録において、谷新氏が明確に論じた齋藤富蔵の「思想の設計図」の本質をここに開示いたします。 ■ 1. 幻の名作『天と地(存在の秘密にせまる)』への最大級の賛辞 カゴメの創業者・蟹江一太郎氏へのオマージュとして知られる100号大作には、トマトを描いた具象画の他に、もう一点、同年に制作された『天と地(存在の秘密にせまる)』が存在します。 公式図録論文において、谷新氏はこの作品を「物象をほとんど抹消し、広大無辺な空間にエルンストの技法を思わせる雲が描かれている。この作品も出色のコンセプトと出来ばえをもっている」と大絶賛しています。カゴメの広告という商業の枠(記号)をあえてすべて引き算し、天と地の壮大な宇宙空間へと昇華させたあの造形美は、美術館長が「出色のコンセプト」と認め、その高い格付けを公式に保証しているのです。 ■ 2. 実際にアトリエに遺されていた「エルンストの図録」という生々しい物証 論文では、「実際自宅にはエルンストの日本で開催された図録もあったという」と、齋藤先生が世界の最前線のビョンを生々しく手元に置き、そのマチエール(物質的皮膚)の特異性に強い興味を抱いていた事実が公式に記録されています。 先生は、国立西洋美術館に収蔵されているエルンストの名作『石化した森』に見られる表現法に、自身の方法との強烈な類似性を見出していました。先生が1960年の最初期に何度も描いた『大谷石採掘場』における工具の規則正しい削り跡のテクスチャが、すでにエルンストの高度な技法(グラッタージュ)と完全に共鳴していたのです。 ■ 3. エルンストの「偶然」を拒絶し、みずからの「人生訓」を刻んだ野生の強度 しかし、齋藤富蔵はただの模倣者では断じてありません。論文は、エルンストと齋藤富蔵の「決定的な違い」をこう結論づけています。 エルンストは、キャンバスの下に物を敷いて模様を擦り出す方法を用いることで、あえて表現者の「精神の反映を遮断(カット)」しました。それに対して齋藤富蔵は、偶然に頼ることを完全に拒絶しました。先生は、画面にこびりつくような気の遠くなるような細かい描写(インクの点描やハッチングの累積)を徹底的な肉体労働によって重ねることで、キャンバスの上にみずからの「精神と人生訓」をダイレクトに反映させたのです。大きいもの(牛)と小さいもの(蝶)の不気味な対比のなかに、自らの全人格を叩き込む。この「逃げのない執念の描写力」こそが、西欧の巨匠たちを遥かに置き去りにする、齋藤富蔵という規格外の天才の証明です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」と公立美術館のトップが認め、その精神的ルーツがエルンストの図録という遺品によって完全に証明された絶対的な血統(プロヴェナンス)。 彼は日本の閉塞した近代洋画の情緒を完全に無視し、最初から世界の頂点と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の職人です。 TOMIZO SAITO (1922-2015) Ten to Chi (Sonzai no Himitsu ni Semaru) [Heaven and Earth (Approaching the Secret of Existence)] Dedicated to Ichitaro Kanie, the Great Tomato King / A Masterpiece of Ontological Surrealism PROPERTY FROM A DISTRIBUTOR / PRIVATE COLLECTION • About this Artwork Ten to Chi (Sonzai no Himitsu ni Semaru) [Heaven and Earth (Approaching the Secret of Existence)] is a monumental P100-scale masterpiece by Japanese surrealist Tomizo Saito, representing a zenith of his philosophical inquiry. Conceived alongside a project dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, the work merges minimalist aesthetics with profound ontological surrealism. Housed in a minimalist studio strip-frame, authenticity is unconditionally guaranteed. • Provenance Acquired directly from the artist's estate; Tsukuba Shokai Gallery, Japan. • Literature & Exhibition • Tomizo Saito Retrospective, Utsunomiya Museum of Art, Tochigi, 2016, illustrated and exhibited. Saleroom Notice / Technical Specifications: • Artist: Tomizo Saito (齋藤 富蔵) • Title: Ten to Chi (Sonzai no Himitsu ni Semaru) [Heaven and Earth (Approaching the Secret of Existence)] / 天と地(存在の秘密にせまる) • Subtitle: Dedicated to Ichitaro Kanie, the Great Tomato King / A Masterpiece of Ontological Surrealism (偉大なるトマト王, 蟹江一太郎氏に捧ぐ / 存在論的シュールレアリスムの名作) • Medium: Mixed media on canvas laid on a wooden stretcher • Dimensions: Image: 162.1 x 112.2 cm (63.8 x 44.2 in) | Canvas Size: P100 • Framed Dimensions: Approximately 164.5 x 114.5 cm (64.8 x 45.1 in) with basic 1cm edge strip • Signature: Signed

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  • シュールの鬼才,齋藤富蔵,裸婦素描のスケッチブック,4点,圧倒的な構造把握と素描力,宇都宮美術館出品,図録1P掲載,市場流通完全ゼロの奇跡

    ¥277,000($1,751.98)

     シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 齋藤の裸婦素描「簡略化された線」に宿る3つの絶対的な造形強度 1. レオナルド・ダ・ヴィンチの「解剖学的骨格」:歪みのない3D構図この素描が優れている最大の根拠は、「どれだけ線をシンプルにしても、肉体の立体構造(パースペクティブ)が1ミリも破綻していない」という点です。圧倒的な首から肩への回り込み:画面中央の女性の長い首、そして胸部へと繋がるデコルテのラインを見てください。太いハッチング(陰影の線)を何度も重ねて誤魔化すことなく、滑らかでキレのある境界線だけで、人間の肉体が持つ「3次元的な厚みと回り込み」が完璧に捉えられています。左手を胸に当て、右手を腰の布に添えるという、ルネサンス期の古典彫刻を思わせる複雑なポーズでありながら、胸の膨らみ、肩の筋肉の付き方が、解剖学的に極めて正確に配置されています。これは、基礎的なデッサン力が脳内に完璧に叩き込まれていなければ、線を減らした瞬間に一発で「へたくそな平面の絵」に崩れてしまう、最も難易度の高い表現です。 2. 藤田嗣治(レオナール・フジタ)の「自立する細線」との精神的合致フジタがパリの画壇を驚かせたのは、面相筆で引いた「一切の迷いのない、それだけで肉体の官能性を表現しきる極細の輪郭線」でした。齋藤富蔵の技量:1960年の齋藤富蔵もまた、この「自立する線」の美学を完全にマスターしています。髪の波打つようなウェーブ、ベール(布)の柔らかなドレープ(しわ)を、最小限のインクの線で描き出しています。あえて陰影を極限まで引き算し、線の「うねり」と「強弱」だけで素材の硬軟(髪の柔らかさ、肉体の弾力、布の軽さ)を表現してみせるそのセンスは、東郷青児のような甘美なモダンデザインをベースに持ちながらも、内側に確固たるアカデミズム(美の骨格)を秘めている証拠です。 齋藤先生の裸婦画はこれしか残されませんでした。スケッチブックの素描ながら「齋藤富蔵展」図録では1ぺージ全面に掲載されました。「同じ構図を4回検証したエチュードの全貌」であり、さらに「うち1枚が公式の展覧会に出品され、図録掲載という将来重要な資料として歴史に刻まれている」という一級の来歴付きといえる品です。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  スケッチブック 4作 1960年 Ⅰ-12  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P28 技法  紙にペンやパステル、鉛筆など サイズ  シートサイズ30*39cm 額サイズ  なし サイン  すべてにサイン、印、年記あり。に1個の印あり。 状態  作品大体良好。図録に掲載された3枚目の素描は頭上に紙の折れ跡があります。 備考  真作保証します。 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展(1977)図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。斎藤先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。 「斎藤富蔵展」宇都宮美術館・館長谷新氏 評論文 書き出し一部 まだまだ発掘し検証しなければならない作家は多い。宇都宮が生んだ齋藤富蔵という画家もそのひとりである。この画家のことは10年ほど前まではほとんど知らなかった。宇都宮ゆかりの作家のひとりとしてその存在は名前程度に念頭にあっただけである。 10年ほど前、その遺作をまとめて見る機会があって、その表現の特異性に目を見張った。早速、学芸員が調査に入り、展覧会以前にまず遺作のうちの数点の寄贈を受ける。それらのうち何点かはすでに美術館のコレクション展でも展示され、異風を放つその表現に感じ入ったひとも多いだろう。ともかく単純にいって変わっているのである。 変わっているのは根拠や背景がなく変わっているのではない。その表現は、生きた時代や流行の表現状況に類同した表現ではなく、はっきりした自分の立ち位置や絵画に対する考え方が明確に備わっている。くわえてこれらの絵画は、モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、それを実現しようとするコンセプトのほうが先行して顔料などの使用素材、布や紙など支持体の研究がおろそかにされがちである。 齋藤富蔵の表現は、この両方がバランスよく追求されている。というより、表現方法的に見れば、すでにバランスは欠いているといったほうが正確かもしれない。全体をまとめ上げるという表現全体の問題意識と、イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させるばあいが見られるなど、表わされた全貌をもってまとまった絵画とする考え方からはおおいに逸脱しているといわざるをえないからである。両極端、いわば北極南極の両極性に向かって、天秤のバランスをとるようではなく、それぞれの極性に向かって他極をさして考慮しないかのようなディテールへの介入をおこなうのである。それは後述するようにアカデミックな表現観にもとづくのではなく、その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせるだろう。 激動の戦後美術史の多様な表現動向に拮抗し、あるいはそれらを潜り抜けながら齋藤がめざした世界とはいったいどのようなものだったであろうか。国内はもとより海外で今日きわめて高く評価されるようになった「具体」、「もの派」などに代表される日本の戦後美術は、ある特定のエコールに偏重した傾向を近年ますます示しつつあり、同時に解釈もステレオタイプ化して新しく次代に連なる解釈の可能性が見出しづらくなっていることも事実だろう。 齋藤富蔵の表現についてまずいっておかなければならないことは、そうした戦後日本の注目を集めるインターナショナルやグローバルな規範に準拠した表現と比較対照はできるが、むしろそれらとの関係は希薄というに近い、ということである。そうした従来の美術史の水準では語りえない独自の表現を生み育て形成しえたこと、齋藤富蔵はまさにそのことによって戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識を示し、今後さらに検証の機会を積んで、新しい解釈の切り口と可能性を戦後美術史に記すようになるだろう。

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  • シュールレアリスム狂気のデペイスマン,齋藤富蔵「飛翔の詩」P100号,異次元結界と蝶,歴史を変える戦後最大の奇跡,宇都宮美術館出品作

    ¥2,220,000($14,041.17)

    【造形プロセスの検証】「飛翔の詩」が提示する、もう一つの戦後美術史——なぜ本作は、ビュフェの「鋭利な結界」とオルブライトの「魔術的超細密」を必要とするのか 齋藤富蔵のP100号の大作「飛翔の詩」は、戦後の日本の洋画壇がこれまで盲信してきた「生ぬるい情緒」や「対象を綺麗に模写するだけの受験デッサン」を根底から解体する、邦人唯一の国際基準のシュールレアリスム(超現実主義)の記念碑的大作です。ミクストメディアという表現手段を極限まで引き上げ、キャンバスの上に「無意識の夢と静寂のデペイスマン(異次元的配置)」を結晶化させた本作。なぜこの画面を解説するにあたり、戦後フランスの天才ベルナール・ビュフェと、アメリカの怪物イヴァン・オルブライトの二名を引用せねばならないのか。それは、齋藤富蔵が「異次元の結界と蝶」という狂気的な深層心理の領域を物質化するために駆使した技法が、彼ら二人の巨匠の表現核心と完全に一致しているからに他なりません。観る者がその必然性を深く理解できるよう、造形プロセスの関連性をここに証明いたします。1. ベルナール・ビュフェの「剃刀の線」が構築する、日常を拒絶する異次元の結界戦後フランスにおいて、それまでの具象絵画の常識を覆し、剃刀のように鋭利な黒い直線だけで時代の孤独と不条理を表現した天才、ベルナール・ビュフェ。本作「飛翔の詩」の背景、そして空間を鋭く分断する無数の木々の枝や垂直に伸びる幹の造形を見てください。そこには、ビュフェの代名詞である「画面を完全に凍りつかせる、迷いのない硬質な直線の持続力」が極限まで注ぎ込まれています。生々しい風景を単にトレースするのではなく、徹底して冷徹、かつ硬質な直線のストロークを積み重ねることで、画面全体を「日常から隔離された絶対的な聖域(結界)」へと変貌させる。この、情緒的な柔らかさに一切逃げない線の設計において、齋藤富蔵はビュフェと同じ戦後前衛の孤高の精神性を宿しています。2. イヴァン・オルブライトの「魔術的超細密」が解き放つ、蝶(命の残像)の浮遊アメリカの魔術的リアリズムの怪物であり、物質が風化し、錆び、崩壊していくプロセスを顕微鏡レベルの細密さで描き、不気味なまでの実体感を作り出したイヴァン・オルブライト。「飛翔の詩」の圧倒的な核心は、その凍りついた密林の結界を破り、画面に奇妙な動感を与える「蝶」たちのデペイスマンです。背景を空気遠近法で誤魔化す一般的な風景画とは真逆であり、前景の複雑な藪から最奥のグラデーションに至るまで、すべての物質の皮膚(マチエール)が執念深い点描とハッチングの集積で埋め尽くされています。その圧倒的な密度の迷宮を、生を削ぎ落とされたかのように白く、あるいは枯葉を擬態したかのように漂う「蝶」たちが浮遊する。この、観る者の脳髄をねじ伏せ、無意識の深層へと引きずり込む「対象のすべてを細部から解剖し、存在の凄みを剥き出しにする狂気的な密度」こそが、オルブライトの魔術的リアリズムと完全に一致する理由です。3. 昭和の巨頭たちに独占され、今日まで守られた「未踏の最高峰」これほど巨大な100号のキャンバスに狂気的な手の痕跡を遺し、一陽会でも確固たる足跡を遺しながら、なぜ今日までネット上に1点も販売履歴がなかったのか。その理由は極めて明快です。カゴメの創業者や味の素の会長といった昭和の財界パトロンたちにその才能を深く愛され、一般の商業市場に売る必要がまったくなかったからです。既存の美術システム(商業画廊)の外側で、純粋にご遺族の元で大切にカプセル化されていた「100%手垢のついていない本物の血統」。■ 真の審美眼を持つバイヤーの皆様へ本作「飛翔の詩」は、日本の洋画史を塗り替えるだけの圧倒的な質量を持った怪物です。仕掛けられた流行に流されるままコンテンポラリーアートに大金を投じるか、それとも美術史の闇に埋もれていた巨大なタイムカプセルを開け、未来の教科書に載るべき「本当の天才」の最初の目撃者(インサイダー)になるか。2,220,000円という価格は、この歴史の先取りに挑むにふさわしい、圧倒的な割安感を持ったゲートウェイです。キャンバスに焼き付けられた狂気的なまでの手の痕跡の絶対量を、ぜひ貴方自身の眼で確かめてください。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  飛翔の詩 1979年 (図録Ⅳ-7)  第25回一陽展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P122掲載 技法  木枠に張ったキャンバスに水彩 サイズ  P100号 162,1*112,2cm 額サイズ  164,5*114,5cm 作品の側面に1cm厚の板が貼ってあるだけです。額なしと思ってください。 サイン 右下にサインり。 状態  作品良好。 備考  真作保証します。 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展(1977)図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。斎藤先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。 Tomizo Saito: Official Art Historical Essay (Global Compact Edition)The recent discovery of Tomizo Saito’s handwritten studio logs (catalogue raisonné), alongside his personal copy of the official Max Ernst Exhibition Catalogue (translated by the eminent Surrealist scholar Kunio Iwaya), marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre—defined by a crystalline vacuum and a haunting narrative structure—completely supersedes the conventional paradigms of traditional Japanese modern art. Far from merely imitating form, Saito internalised the radical mechanics of European Surrealism, anchoring their philosophy into the absolute reality of the canvas through sheer, unyielding physical execution.The profound dialogue between Saito’s structural fortitude and his archives is verified through three distinct ideological resonances:1. André Breton: The Repudiation of MimesisAndré Breton demanded an “absolute rupture with the mimesis of external appearance” while rejecting superficial juxtapositions as mere decorative indulgence. Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship as seen in his 1960 figure studies, deliberately renounced mimetic realism. By treating primordial motifs—pottery, skeletal trees, and levitating butterflies—with a cold, forensic precision, he deployed an autonomous linear discipline and a dense, structural matière that forces the viewer into a defamiliarized psychological threshold (dépaysement).2. René Crevel: The Master ArtisanRené Crevel utilized the metaphor of the “woodcutter who merely fells trees” to describe conventional painters who capture only the pastoral surface of nature. In contrast, Crevel crowned the true avant-garde visionary as the “master artisan” capable of forging structural marvels that rotate like newfound constellations. Saito’s canvas operates precisely as this sovereign artisan. Rather than decorating a scene, Saito liberates his fossilized butterflies into the dense pictorial space like “invisible midday birds wandering through midnight clouds,” abruptly severing the viewer from daily reality.3. Georges Bataille: Beyond Industrious LaborGeorges Bataille critiqued artists who merely conform to pre-established technical rules, equating them to “cabinetmakers meticulously building domestic furniture.” True sovereignty in art requires a violent plunge into the “outer limits of reality where conscious thought dissolves.” Saito’s obsessive method of entirely saturating the canvas with frantic stippling, cross-hatching, and dense impasto represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece Heaven and Earth, a monumental P100 canvas dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this philosophy. By omitting literal commercial iconography—rejecting both the redness of the tomato and the portraiture of the patriarch—Saito constructs a severe counter-monument. The staggering geological mass suspended in the sky against a permanent, motionless temple on earth is the absolute formal realization of Bataille’s “outer limits.”ConclusionIn the Vol. 10 journal ZENBI issued by the National Association of Art Museums, elite institutional curators validated Saito’s expression as “a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards.” Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his technical virtuosity exclusively to his private patrons and the purity of his vision. Validated by a pristine provenance and a lifetime restriction on public commercialization, this closed time capsule is now opened to the international market for the very first time.Tsukuba Shokai Gallery

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  • 知られざるシュールの鬼才,齋藤富蔵「陽」10号大,巨大な日輪の輪,カーボランダム的マチエール,宇都宮美術館出品作

    ¥135,000($853.85)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。 ―― 画面一杯に広がる、崇高なる生命の源泉 画面の中央上部を圧する、巨大な「白日の輪」。 黄金色から深遠な朱へと移ろいゆく濃密な雲海と、下部で波しぶきを上げる荒波、そして黒々とした重厚な岩肌――。 本作《陽(ひ)》は、齋藤富蔵が生涯をかけて追究した「自然倫理」と「存在の神秘」が、もっとも力強く鮮烈な色彩となって昇華された100号大作にも引けを取らない至高の10号大です。10号というコレクションとして最も飾られやすい絶妙なサイズ感でありながら、一部屋の空気を一変させるような崇高なエネルギーに満ち溢れています。 齋藤は変幻自在なマチエルのマジシャンにてご説明いたしますが、描いた時期は最も厚く盛る時期でしたが本作はフラットに厚みを出しカーボランダムのようなまろやかなエッジの作品でございます。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 展覧会図録、画集って作者名を意識しないでペラペラめくった程度でも真の大家ならそれだけで只モノではないことはわかります。回顧展の図録みれば齋藤のそれは圧倒圧巻であり紛れもない巨匠そのものであることは皆様もご理解されることでしょう。 どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。 プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。 手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。  まったく市場のデータがないのでお客様の審美眼と私共の信用のみのご判断になりますがシュールの重要作家、北脇昇の4号が毎日オークションで50万円の落札実績がございます。これはかなり参考となるデータでしょう。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  陽 1970年 (図録Ⅱ-55)  栃木県絵画グループ招待展 1971年  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P80掲載 技法  紙にミクストメディア 表面は水彩、地塗りはアルファメディウムや砂。 サイズ  10号大 56,6*37,9cm 額サイズ  56,5*74.8cm サイン  右下にサインあり。 状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。かぶせ箱あり。 備考  真作保証します。 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展(1977)図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。斎藤先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。

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  • 画壇が封印した狂気の鬼才,齋藤富蔵「昼」約40号,カーボランダム的マチエル,マグリットの再来,宇都宮美術館出品

    ¥537,000($3,396.44)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。 ―― 永遠の刻が止まった、水上の不条理劇 風化された石造りの洋風建築、美しく整えられたバルコニーやアーチ状の扉。 静まり返った水面には、一本の柱と黒いゴンドラの舳先だけが静かに浮かび上がっています。 本作《昼》は、ルネ・マグリットが昼と夜、日常と非日常の境目を静謐に描き出したように、齋藤富蔵がヨーロッパの詩情あふれる都市風景を通して「存在の静寂と不条理」を鮮やかに表現した40号の名作です。明るい「昼」の光でありながらどこか夢幻的な静寂が漂い、空間に格調高い品格と静かな知性を呼び込みます。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 展覧会図録、画集って作者名を意識しないでペラペラめくった程度でも真の大家ならそれだけで只モノではないことはわかります。回顧展の図録みれば齋藤のそれは圧倒圧巻であり紛れもない巨匠そのものであることは皆様もご理解されることでしょう。 どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。 プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。 手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。  まったく市場のデータがないのでお客様の審美眼と私共の信用のみのご判断になりますがシュールの重要作家、北脇昇の4号が毎日オークションで50万円の落札実績がございます。これはかなり参考となるデータでしょう。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  昼 1970年 (図録Ⅱ-34)  第16回一陽展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P64掲載 技法  紙にミクストメディア 水彩、アルファメディウムや砂。 サイズ  約P40号 101,7*69,1cm 額サイズ  107,5*74cm サイン  右下にサインあり。 状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。箱なし。 備考  真作保証します。 『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ転載 見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに 寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員) 現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。 宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。 その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。

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  • 戦後日本の前衛を再編成する鬼才,齋藤富蔵,栃木新聞の挿絵原画,3点シート,昭和41年,新聞の誌面を彩った貴重な手仕事,瑞々しい感性①

    ¥26,900($170.14)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ―― 昭和41年、新聞の誌面を彩った貴重な手仕事(直筆原画3枚組) 海外の街並み、石膏像や伝統的な祭礼・屋台を思わせる、味わい深いモチーフ。 軽妙で洒脱なペン画の線と、温かみのある水彩の色彩設計。 本作は、戦後日本の前衛美術史において異彩を放った巨匠・齋藤富蔵が、昭和41年(1966年)に『栃木新聞』の連載記事のために直接描き下ろした挿絵原画の超貴重な3枚セットです。 印刷物ではなく、画家自身の手によって紙に描かれた直筆の「一品もの(肉筆原画)」。画家の若き日の卓越したデッサン力と、デザインセンスが如実に表れた第一級の美術史料です。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  栃木新聞挿絵原画3点 昭和41年 11/21,12/5,12/7 技法  紙にペン、水彩 サイズ  ①11/21 10*13, 12/5 12*12, 12/7 13/14cm シートサイズはすべて15,8*22,8cm 額サイズ  なし。 サイン  下部にサインあり。 状態  作品概ね良好。 備考  真作保証します。 『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ転載 見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに 寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員) 現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。 宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。 その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。

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  • 画壇が封印した狂気の鬼才,齋藤富蔵「遊蛾」約40号,デュシャン系の前衛的文脈,彫刻的極厚マチエル,メタリカルな意匠美,宇都宮美術館出品作

    ¥537,000($3,396.44)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。 【静寂な樹林に舞う黄金の異形――触覚的マチエールが魅せる最高峰の精神世界】 本作品《遊蛾(ゆうが)》は、齋藤富蔵が生涯をかけて追究した「蛾(自我・弱者)」と「深山・樹木」の対話がもっとも前衛的かつ過激な造形美として結実した40号の傑作です。 凍てつくような銀色の空気感と、画面を垂直に切り裂く無数の黒い枝組み。その静寂な林の中に一列になって佇むのは、鮮烈な黄色で描かれた四頭の蛾たちです。 灰色の空と枯木の森は、戦後の荒廃した精神世界。そこに浮かぶ黄金の蛾は、魂の象徴であり、「光に向かう存在」「自己変容」「再生」を意味します。斎藤富蔵が自己の内面を蛾に託した、 日本シュルレアリスムの最も深い表現の一つです。遅れた巨星、躍り出たシュールの最高峰。 特筆すべきは、黄色いモチーフ部分に施された凄まじいゴツゴツ感を持つ極厚マチエール。 砂や樹脂、水性顔料を過剰なまでに盛り上げ、彫刻のごとく刃を入れたその質感は、平面絵画の枠組みを完全に破壊しています。背景の冷たい静寂と、黄色い部位の不気味なほどの物質的質量――この強烈な視覚と触覚のコントラストが、観る者を一瞬で「和のシュールレアリスム」の深淵へと引きずり込みます。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 展覧会図録、画集って作者名を意識しないでペラペラめくった程度でも真の大家ならそれだけで只モノではないことはわかります。回顧展の図録みれば齋藤のそれは圧倒圧巻であり紛れもない巨匠そのものであることは皆様もご理解されることでしょう。 どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。 プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。 手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。  まったく市場のデータがないのでお客様の審美眼と私共の信用のみのご判断になりますがシュールの重要作家、北脇昇の4号が毎日オークションで50万円の落札実績がございます。これはかなり参考となるデータでしょう。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  遊蛾 1964年 (図録Ⅱ-13)  第10回一陽展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P49掲載 技法  紙にミクストメディア 水彩、アルファメディウムや砂。のちパネルに裏打ち サイズ  約P40号 102,2*69cm 額サイズ  107,5*74cm サイン  右下にサインあり。 状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。箱なし。 備考  真作保証します。 2016年、宇都宮美術館では「齋藤富蔵展」が開催されました。 齋藤富蔵は、長年にわたり広く知られた作家ではありませんでした。しかし、同展を実際に鑑賞した美術関係者からは、その作品について極めて注目すべき評価が示されています。全国美術館会議の機関誌『ZENBI』Vol.10では、同展について紹介され、図録巻頭論文における宇都宮美術館・谷新氏の見解として、齋藤の表現について、「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」との評価が紹介されています。さらに、齋藤については、「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識」を持つ作家として論じられ、今後の検証によって、戦後美術史に新たな解釈の切り口と可能性をもたらすことが期待される、という趣旨の考察が掲載されています。また、同誌でこの展覧会を論じた足利市立美術館・江尻潔氏も、齋藤の作品について、既存の美術史の主流とは異なる魅力や、同時代の「はやり」に流されなかったことによって生まれた強いメッセージ性に注目しています。 そして、既存の評価軸だけでは捉えきれない作品を見いだすためには、今後「さまざまな尺度」が必要であるとの考察へとつながり、既に評価されている作家と、これまで見落とされてきた作家が新たに結び付くことで、美術史に新しい「星座」が描かれていく可能性が示されています。 これは、単に「知られていない地方作家」という一面的な評価ではありません。 2016年の時点で、全国美術館会議の機関誌において、齋藤富蔵という作家の表現が、既存の戦後美術史の尺度だけでは十分に位置づけられない可能性が、専門家によってすでに指摘されていた。 本作品をご覧いただく際には、現在の市場での知名度だけではなく、こうした既存の美術館・美術関係者による評価も含め、作品そのものをご自身の眼でご判断いただければと思います。 齋藤富蔵の作品が、これからどのような美術史的位置を与えられていくのか。 その可能性を考えるうえでも、2016年の展覧会と、それをめぐる当時の批評は重要な記録の一つです。 そして、これは私自身の評価を押しつけるためのものではありません。 2016年の時点ですでに、美術館関係者によってこうした問題提起がなされていました。ぜひ現在の作品を、皆様ご自身の眼で実際にご覧いただければと思います。 出典:全国美術館会議『ZENBI』Vol.10(2016年) 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様のご蒐集心よりお待ち申し上げております。 『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ転載 見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに 寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員) 現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。 宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。 その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。 斉藤富蔵展 宇都宮美術館・館長谷新氏 図録序文一部 まだまだ発掘し検証しなければならない作家は多い。宇都宮が生んだ齋藤富蔵という画家もそのひとりである。この画家のことは10年ほど前まではほとんど知らなかった。宇都宮ゆかりの作家のひとりとしてその存在は名前程度に念頭にあっただけである。 10年ほど前、その遺作をまとめて見る機会があって、その表現の特異性に目を見張った。早速、学芸員が調査に入り、展覧会以前にまず遺作のうちの数点の寄贈を受ける。それらのうち何点かはすでに美術館のコレクション展でも展示され、異風を放つその表現に感じ入ったひとも多いだろう。ともかく単純にいって変わっているのである。 変わっているのは根拠や背景がなく変わっているのではない。その表現は、生きた時代や流行の表現状況に類同した表現ではなく、はっきりした自分の立ち位置や絵画に対する考え方が明確に備わっている。くわえてこれらの絵画は、モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、それを実現しようとするコンセプトのほうが先行して顔料などの使用素材、布や紙など支持体の研究がおろそかにされがちである。 齋藤富蔵の表現は、この両方がバランスよく追求されている。というより、表現方法的に見れば、すでにバランスは欠いているといったほうが正確かもしれない。全体をまとめ上げるという表現全体の問題意識と、イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させるばあいが見られるなど、表わされた全貌をもってまとまった絵画とする考え方からはおおいに逸脱しているといわざるをえないからである。両極端、いわば北極南極の両極性に向かって、天秤のバランスをとるようではなく、それぞれの極性に向かって他極をさして考慮しないかのようなディテールへの介入をおこなうのである。それは後述するようにアカデミックな表現観にもとづくのではなく、その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせるだろう。 激動の戦後美術史の多様な表現動向に拮抗し、あるいはそれらを潜り抜けながら齋藤がめざした世界とはいったいどのようなものだったであろうか。国内はもとより海外で今日きわめて高く評価されるようになった「具体」、「もの派」などに代表される日本の戦後美術は、ある特定のエコールに偏重した傾向を近年ますます示しつつあり、同時に解釈もステレオタイプ化して新しく次代に連なる解釈の可能性が見出しづらくなっていることも事実だろう。 齋藤富蔵の表現についてまずいっておかなければならないことは、そうした戦後日本の注目を集めるインターナショナルやグローバルな規範に準拠した表現と比較対照はできるが、むしろそれらとの関係は希薄というに近い、ということである。そうした従来の美術史の水準では語りえない独自の表現を生み育て形成しえたこと、齋藤富蔵はまさにそのことによって戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識を示し、今後さらに検証の機会を積んで、新しい解釈の切り口と可能性を戦後美術史に記すようになるだろう。 【公式図録の検証】マックス・エルンストの『石化した森』を超克した、齋藤富蔵の「執念のマチエール」 ——宇都宮美術館・谷新氏が巻頭論文で明かした、世界基準の前衛精神と「遊蛾」の真実 重要作「遊蛾(ゆうが)」約40号の背後には、西欧前衛の巨頭マックス・エルンストとの凄まじい精神的対峙の歴史が隠されています。 旧来の近代美術や日本絵画の生ぬるい情緒の枠組みを遥かに置き去りにする、戦後日本美術史の最大のブラックボックス。なぜ、大正生まれの画家がこれほどまでに垢抜けた現代的センスと、純度100%の清澄な死生観を描き得たのか。宇都宮美術館の公式図録論文において、元館長・谷新氏が明確に論じた齋藤富蔵の「思想の設計図」の本質を、本作の造形と重ね合わせて開示いたします。 ■ 1. 実際にアトリエに遺されていた「エルンストの図録」という生々しい物証 公式図録の論文では、「実際自宅にはエルンストの日本で開催された図録もあったという」と、齋藤先生が世界の最前線の前衛ビジョンを生々しく手元に置き、そのマチエール(物質的皮膚)の特異性に強い興味を抱いていた事実が公式に記録されています。 先生は、国立西洋美術館に収蔵されているエルンストの名作『石化した森』に見られる、「物質的な肌合いと、デザインのようなフラットな幾何学形をクロスさせる表現法」に、自身の方法との強烈な類似性を見出していました。先生が1960年の最初期に何度も描いた『大谷石採掘場』における工具の規則正しい横の削り跡のテクスチャが、すでにエルンストの高度な前衛技法(グラッタージュ)と完全に共鳴していたのです。本作「遊蛾」に刻まれた、見る者をねじ伏せるような極厚の物質的マチエールは、まさにこの素材への偏執的なアプローチの歴史から生まれています。 ■ 2. エルンストの「偶然」を拒絶し、みずからの「人生訓」を刻んだ野生の強度 しかし、齋藤富蔵はただの模倣者では断じてありません。公式図録は、エルンストと齋藤富蔵の「決定的な違い」をこう結論づけています。 エルンストは、キャンバスの下に木目などを敷いて模様を擦り出す「フロッタージュ(転写法)」や「グラッタージュ(削り取り)」を用いることで、あえて表現者の「精神の反映を遮断(カット)」しようとしました。 それに対して齋藤富蔵は、偶然に頼ることを完全に拒絶しました。本作「遊蛾」に舞う、生を削ぎ落とされたかのような前衛的な蛾(あるいは蝶)の意図的な配置を見てください。先生は、画面にこびりつくような気の遠くなるような細かい描写やハッチングの累積を徹底的な肉体労働(必然の筆致)によって重ねることで、キャンバスの上にみずからの「精神と人生訓」をダイレクトに反映させたのです。この「逃げのない執念の描写力」こそが、西欧の巨匠たちを遥かに置き去りにする、齋藤富蔵という規格外の天才の証明です。 ■ 3. 宇都宮美術館・館長 谷新氏の審美眼が引き揚げた「本物の血統」 宇都宮美術館にルネ・マグリットの傑作《大家族》を導入したことでも知られる、日本屈指のキュレーター・谷新氏が、本作をはじめとする齋藤富蔵の遺作をまとめて目撃した際、その表現の特異性に目を見張り、即座に美術館への収蔵と展覧会の主導に動きました。 全国美術館会議の機関誌(ZENBI)において、谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや、短期決戦的な現在の流行(バブル)を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の職人です。 ■ 既存の支援者、指示者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて売らずに寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。お世話になった方々へ贈り、没後は美術館へ寄贈され、ご遺族が思い出のために僅かに残されていた奇跡の残余だけを、この度当画廊がその未来の命運と共にすべて譲り受けました。 一般市場にお金で買える作品が流通する余地が歴史上まったく存在しなかったからこそ、現在進行形でその相場が創り出されている最中です。1回や2回の落札の有無にかかわらず、この価格と価値のハシゴを当画廊は1円たりとも下げることはいたしません。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。 【造形思想の検証】蛾を物質として盛り上げる「極厚マチエール」の狂気 ——ジャン・デュビュフェ、アントニ・タピエスの物質主義と同期する、齋藤富蔵の造形世界 重要作「遊蛾(ゆうが)」約40号は、旧来の近代美術や日本絵画の予定調和な平面描写を遥かに置き去りにする、戦後日本美術史の最大のブラックボックスです。 本作の最大の特質は、画面中央に配された「蛾(あるいは蝶)」のモチーフが、単なる絵の具の着色ではなく、彫刻的なまでに執念深く盛り上げられた「極厚のマチエール(物質的皮膚)」として厚紙に定着している点にあります。 宇都宮美術館の公式図録論文において、元館長・谷新氏、ならびに足利市立美術館・江尻潔氏らが看破した先生の造形精神を基軸に、本作が放つ世界基準の強度を解剖いたします。 ■ 1. ジャン・デュビュフェ、アントニ・タピエスとの圧倒的な「物質的同期」 20世紀のフランスが生んだアンフォルメルの巨頭ジャン・デュビュフェは、絵の具に砂や泥、樹脂を混ぜ合わせ、ドロドロとした大地の皮膚のような質感(マチエール)を創り出すことで世界の美術界を震撼させました。また、スペインの巨匠アントニ・タピエスも、画面を執拗に盛り上げ、引っ掻き、物質そのものが放つ「不気味なまでの実体感」を表現しました。 本作「遊蛾」における、絵の具等で物質的に盛り上げられた蛾の立体的な造形は、まさに彼ら世界の巨匠たちが到達した『物質主義(マテリアリズム)』の極致と完全にシンクロしています。先生は、蛾という生命を「記号」として平面的に描くことを拒絶しました。自らの気の遠くなるような肉体労働(必然の筆致)によって、蛾の身体そのものをキャンバスの上に生々しい「質量」として彫刻的に出現させたのです。この逃げのない執念の描写力こそが、本作にただならぬオーラをもたらしている絶対的な根拠です。 ■ 2. 宇都宮美術館論文が証明する「制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法」 公式図録の論文において、谷新氏が「イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させる」「その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせる」と大絶賛しているファクト。本作はその言葉を100%具現化したマスターピースです。 全体を小綺麗にまとめ上げるという旧来の調和からは完全に逸脱(エスケープ)し、盛り上げられた蛾のディテールへと他を顧みず介入していく。この、世界の存在の不気味さに直接肉薄するような奇怪なストーリー性と、メタリカルな意匠美の融合は、日本の閉塞した洋画壇のルールを完全に無視し、最初から世界の頂点と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才であることの何よりの証明です。 ■ 3. 40号という圧倒的なスケールがもたらす、至高の独占価値 本作は、約40号という画廊やプライベートなコレクションルームの主役を飾るにふさわしい堂々たるスケールを持ちながら、齋藤富蔵先生の旺盛な実験精神のすべてが最高の純度で凝縮されています。 手元でその物質の凹凸に触れるかのような距離で、デュビュフェ級の極厚マチエールと対峙できる本作は、真の審美眼を持つコレクターにとって、これ以上ない贅沢な所有の喜びをもたらします。公立美術館に大作が公式に収蔵されているという絶対的な血統(プロヴェナンス)。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて売らずに寄贈・市場流通ゼロ」という気高さ。 この封印されていた新発見の相場を、お預かりした作品一点一点の真価に見合った正当な格式のまま、未来へ誠実に引き継いでいくことが、齋藤富蔵先生の芸術に対する責任であると確信しております。 《遊蛾》について 齋藤富蔵の作品群を俯瞰すると、「蛾」は単なる昆虫として扱われていないことが分かります。 1960年代半ばの《自蛾像》シリーズにおいて、作家は自らを蛾になぞらえた独特の表現を展開しました。 本作《遊蛾》は、その後年に位置づけられる作品として興味深い存在です。 《自蛾像》に見られた内省的な緊張感を残しながらも、本作ではより自由で幻想的な空間が展開されています。 齋藤富蔵作品に繰り返し登場する蝶や蛾のモチーフを理解する上でも、本作は重要な位置を占める一作といえるでしょう。

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  • 戦後日本の前衛を再編成する鬼才,齋藤富蔵,栃木新聞の挿絵原画,3点シート,昭和42年,新聞の誌面を彩った貴重な手仕事,瑞々しい感性②

    ¥26,900($170.14)

     シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ―― 昭和41年、新聞の誌面を彩った貴重な手仕事(直筆原画3枚組) 海外の街並み、石膏像や伝統的な祭礼・屋台を思わせる、味わい深いモチーフ。 軽妙で洒脱なペン画の線と、温かみのある水彩の色彩設計。 本作は、戦後日本の前衛美術史において異彩を放った巨匠・齋藤富蔵が、昭和41年(1966年)に『栃木新聞』の連載記事のために直接描き下ろした挿絵原画の超貴重な3枚セットです。 印刷物ではなく、画家自身の手によって紙に描かれた直筆の「一品もの(肉筆原画)」。画家の若き日の卓越したデッサン力と、デザインセンスが如実に表れた第一級の美術史料です。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  栃木新聞挿絵原画3点 昭和42年 2/4,12/10,11/22 技法  紙にペン、水彩 サイズ  2/4 10*10, 12/10 11*13, 11/22 9*12cm シートサイズはすべて15,8*22,8cm 額サイズ  なし。 サイン  下部にサインあり。 状態  作品概ね良好。 備考  真作保証します。 『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ転載 見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに 寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員) 現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。 宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。 その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している

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  • 戦後日本の前衛を再編成する鬼才,齋藤富蔵,栃木新聞の挿絵原画,3点シート,昭和42年,新聞の誌面を彩った貴重な手仕事③

    ¥26,900($170.14)

     シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ―― 昭和41年、新聞の誌面を彩った貴重な手仕事(直筆原画3枚組) 本作は、戦後日本の前衛美術史において異彩を放った巨匠・齋藤富蔵が、昭和41年(1966年)に『栃木新聞』の連載記事のために直接描き下ろした挿絵原画の超貴重な3枚セットです。 印刷物ではなく、画家自身の手によって紙に描かれた直筆の「一品もの(肉筆原画)」。画家の若き日の卓越したデッサン力と、デザインセンスが如実に表れた第一級の美術史料です。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  栃木新聞挿絵原画3点 昭和42年 11/16,11/10,10/27 技法  紙にペン、水彩 サイズ  11/16 11*18,3,11/16 10*8,5,10/27 13/12cm シートサイズはすべて15,8*22,8cm 額サイズ  なし。 サイン  下部にサインあり。 状態  作品概ね良好。 備考  真作保証します。 『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ転載 見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに 寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員) 現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。 宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。 その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。

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  • シュールの鬼才,齋藤富蔵,土器のスケッチブック,31作,白木屋ペルシャ展覧会の壺,近代画壇史上最高峰の天才的素描,宇都宮美術館出品作

    ¥662,000($4,187.05)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。 本作は1964年に開催された「第1回斉藤富蔵個展 ペルシアの壺に主題して」(宇都宮東電サービスセンター)出品作品でございます。この壺たちは1961年に日本橋白木屋で開催された「ペルシャ美術展」と「ペルシャ名陶展」に出品された壺を約20日間現物写生したもので神田文房堂さんのスケッチブックに27枚収まっております。 宇都宮美術館で開催された「斉藤富蔵展」にも出品され図録には内7点掲載されております。 作品数で云えば31作品描いており、ページで云えば27ページ分の作品が収まっております(2ページ使って1点描いてる作品は1ページとみなしてます) 斉藤富蔵の素描・・ 1. 質感の表現力:点描とクロスハッチングの狂気的な密度、最も驚異的なのは、この土器の「マチエル」の表現です。無数の点の集積: 単に鉛筆やペンで線を引いて陰影をつけるのではなく、微細な点や短いストロークを気の遠くなるような密度で重ねることで、古い土器特有の「ざらざらとした土の粒子」「経年変化による風化」「湿り気を含んだような重み」が見事に再現されています。光と影のグラデーション: 粗い土の質感を保ったまま、光が当たっている上部から、強く影が落ちている下部・底部にかけての陰影の移行が極めて滑らかです。これは、インクの密度を完全にコントロールする卓越した手先の技術(制御力)がなければ、途中でダマになったり画面が汚れたりしてしまい、絶対に成立しません。 2. 細部の描写密度:ディテールへの偏愛と正確な空間把握取っ手や注ぎ口、そして上部に配された動物(あるいは霊獣)のような意匠の細部において、その基礎体力の高さが伺えます。立体的な回り込み: 取っ手の縄目のうねりや、注ぎ口の直線的なフォルムが、球体である胴体に対して正確な遠近法で接合されています。「硬さ」の描き分け: 胴体の土の柔らかさ・脆さに対して、取っ手や金属的な接合部を思わせる部分の「硬質感」が、ハイライトと影のキレによって明確に描き分けられています。単に「一様に細かく描いている」のではなく、素材の硬軟を光の処理でコントロールしています。 3. 構図:古典的でありながらモニュメンタルな存在感画面中央にどっしりと配された、一見オーソドックスな静物画の構図ですが、計算されたバランスの上に成り立っています。重量感(重心)の正確さ: 水注が床にしっかりと接地し、その自重で佇んでいるという「質量」が、底部の影の落とし方と全体のプロポーションによって完璧に表現されています。サインと落款の配置: 画面右下あるいは左下に配された「Tomi. Sai. 1961.」のサインと赤の落款が、絶妙な「重し」として機能しており、画面全体の左右のバランスを美しく完結させています。 知られざる作家と現状いうしかない作家ながら、このような素描の腕前は近代洋画壇の著名巨匠より圧倒的に齋藤が概ね上といわざるを得ません。それはアカデミック側の教育者やキュレーターさんもこのスケッチブックのみで認めるでしょう。私共がひとつだけ云わせて頂けたら「執念」でございます。 ネットでの履歴ゼロ、そしてこの神がかった素描の技、なにもかもが恐ろしいほどの奇跡でございます。 ちなみに当時1964年、これをみたあるお客様が30万円で売ってくれとおっしゃったそうですが即座に断られたそうです。当時の換算額でいえば130万円から340万円以上でしょう。(参考は大卒初任給比較、消費者物価指数比較)なんとも今も昔もすばらしい目利きさんが存在しました。白髪一雄を90年頃100号を10万円、草間の原画を60年に1万円で買った方もいたように。宇都宮美術館様は斎藤富蔵の良い作品を数点ご遺族様から寄贈されました。それは確かなチョイスでしたがこれは本当に全部素晴らしい富蔵作品の中でも選択から漏れてよかった最たる一枚です。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  スケッチブック 31作   第1回斉藤富蔵個展出品 1964年  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)  技法  紙に鉛筆や水彩、パステルなど(画像でご判断下さいませ) サイズ  シートサイズ33*33cm 中には1ページで4点描いてたり2ページで1点描いてる作品がもございます。画像でご確認お願いします。 額サイズ  なし サイン  すべてにサイン、印あり。1ページに4点描いてる作品は印は中央に1個です。1ページに2点描いてる作品は上部に1個の印あり。 状態  作品大体良好。しみがあるものもございます。画像を参考に自己責任でお願いします。 備考  真作保証します。 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人 ——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙 近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。 本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。 観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。 1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行 シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。 先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。 2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克 詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。 齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。 3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着 思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。 先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。 彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。 直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。 『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ 見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに 寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員) 現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。 宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。 その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。 斉藤富蔵展 宇都宮美術館・館長谷新氏 図録序文一部 まだまだ発掘し検証しなければならない作家は多い。宇都宮が生んだ齋藤富蔵という画家もそのひとりである。この画家のことは10年ほど前まではほとんど知らなかった。宇都宮ゆかりの作家のひとりとしてその存在は名前程度に念頭にあっただけである。 10年ほど前、その遺作をまとめて見る機会があって、その表現の特異性に目を見張った。早速、学芸員が調査に入り、展覧会以前にまず遺作のうちの数点の寄贈を受ける。それらのうち何点かはすでに美術館のコレクション展でも展示され、異風を放つその表現に感じ入ったひとも多いだろう。ともかく単純にいって変わっているのである。 変わっているのは根拠や背景がなく変わっているのではない。その表現は、生きた時代や流行の表現状況に類同した表現ではなく、はっきりした自分の立ち位置や絵画に対する考え方が明確に備わっている。くわえてこれらの絵画は、モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、それを実現しようとするコンセプトのほうが先行して顔料などの使用素材、布や紙など支持体の研究がおろそかにされがちである。 齋藤富蔵の表現は、この両方がバランスよく追求されている。というより、表現方法的に見れば、すでにバランスは欠いているといったほうが正確かもしれない。全体をまとめ上げるという表現全体の問題意識と、イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させるばあいが見られるなど、表わされた全貌をもってまとまった絵画とする考え方からはおおいに逸脱しているといわざるをえないからである。両極端、いわば北極南極の両極性に向かって、天秤のバランスをとるようではなく、それぞれの極性に向かって他極をさして考慮しないかのようなディテールへの介入をおこなうのである。それは後述するようにアカデミックな表現観にもとづくのではなく、その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせるだろう。 激動の戦後美術史の多様な表現動向に拮抗し、あるいはそれらを潜り抜けながら齋藤がめざした世界とはいったいどのようなものだったであろうか。国内はもとより海外で今日きわめて高く評価されるようになった「具体」、「もの派」などに代表される日本の戦後美術は、ある特定のエコールに偏重した傾向を近年ますます示しつつあり、同時に解釈もステレオタイプ化して新しく次代に連なる解釈の可能性が見出しづらくなっていることも事実だろう。 齋藤富蔵の表現についてまずいっておかなければならないことは、そうした戦後日本の注目を集めるインターナショナルやグローバルな規範に準拠した表現と比較対照はできるが、むしろそれらとの関係は希薄というに近い、ということである。そうした従来の美術史の水準では語りえない独自の表現を生み育て形成しえたこと、齋藤富蔵はまさにそのことによって戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識を示し、今後さらに検証の機会を積んで、新しい解釈の切り口と可能性を戦後美術史に記すようになるだろう。 Tomizo Saito: Official Art Historical Essay The discovery of Tomizo Saito’s handwritten logs (catalogue raisonne) and his copy of the Max Ernst Catalogue (translated by Kunio Iwaya) marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre supersedes traditional Japanese modern art by internalising the radical mechanics of European Surrealism through rigorous physical execution. His structural fortitude echoes three distinct ideological resonances: 1. Andre Breton: The Repudiation of Mimesis Breton demanded an "absolute rupture with the mimesis of external appearance." Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship, renounced mimetic realism. Treating motifs like pottery and butterflies with forensic precision, he deployed a dense, structural matiere that forces a psychological threshold (depaysement). 2. Rene Crevel: The Master Artisan Crevel crowned the true avant-garde visionary as the "master artisan" capable of forging structural marvels. Saito’s canvas operates precisely as this artisan, liberating fossilized butterflies into the pictorial space like "invisible midday birds wandering through midnight clouds," severing the viewer from daily reality. 3. Georges Bataille: Beyond Industrious Labor Bataille argued that true sovereignty requires a violent plunge into the "outer limits of reality." Saito’s obsessive method of saturating the canvas represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece "Heaven and Earth," dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this by omitting literal commercial iconography. The staggering geological mass suspended against a motionless temple is the formal realization of Bataille’s "outer limits." Conclusion In ZENBI (Vol.10), curators validated Saito’s expression as "a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards." Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his virtuosity exclusively to his private patrons. Validated by a pristine provenance, this closed time capsule is now finally opened to the global art market. Presented by Tsukuba Shokai Gallery. #TomizoSaito #Surrealism #PostWarArt #MaxErnst #TsukubaShokaiGallery

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  • 知られざるシュールの鬼才,齋藤富蔵「パイナップル」5号大,カーボランダム的マチエール,宇都宮美術館出品作

    ¥65,800($416.18)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。 ― 身近な静物に潜む、静かなるシュルレアリスム 鮮やかな果皮の幾何学的な鱗文様と、力強く伸びる緑の冠芽。 斜めに大胆に配されたパイナップルの造形と、その右下の余白に漂う、不自然で神秘的な影。 本作《パイナップル》は、ルネ・マグリットがりんごやパイプといった日常のオブジェクトを用いて世界の不条理を描き出したように、齋藤富蔵が身近な果物を通して「日常と非日常の境界」を鮮やかに表現した5号の名品です。5号という飾る場所を選ばない絶妙なサイズでありながら、画面全体から漂う知性と緊張感はコレクションの個性を格段に引き立てます。筋といえる黒の輪郭線は墨汁に浸したマッチ棒で描いております。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 展覧会図録、画集って作者名を意識しないでペラペラめくった程度でも真の大家ならそれだけで只モノではないことはわかります。回顧展の図録みれば齋藤のそれは圧倒圧巻であり紛れもない巨匠そのものであることは皆様もご理解されることでしょう。 どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。 プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。 手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。  まったく市場のデータがないのでお客様の審美眼と私共の信用のみのご判断になりますがシュールの重要作家、北脇昇の4号が毎日オークションで50万円の落札実績がございます。これはかなり参考となるデータでしょう。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  パイナップル 1968年 (図録Ⅲ-10)  第2回陽峯展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P89掲載 技法  紙に水彩、アクリル サイズ  5号大 27,9*38,2cm 額サイズ  44,3*56,3cm サイン  右下にサインあり。 状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。かぶせ箱あり。 備考  真作保証します。 Tomizo Saito: Official Art Historical Essay The discovery of Tomizo Saito’s handwritten logs (catalogue raisonne) and his copy of the Max Ernst Catalogue (translated by Kunio Iwaya) marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre supersedes traditional Japanese modern art by internalising the radical mechanics of European Surrealism through rigorous physical execution. His structural fortitude echoes three distinct ideological resonances: 1. Andre Breton: The Repudiation of Mimesis Breton demanded an "absolute rupture with the mimesis of external appearance." Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship, renounced mimetic realism. Treating motifs like pottery and butterflies with forensic precision, he deployed a dense, structural matiere that forces a psychological threshold (depaysement). 2. Rene Crevel: The Master Artisan Crevel crowned the true avant-garde visionary as the "master artisan" capable of forging structural marvels. Saito’s canvas operates precisely as this artisan, liberating fossilized butterflies into the pictorial space like "invisible midday birds wandering through midnight clouds," severing the viewer from daily reality. 3. Georges Bataille: Beyond Industrious Labor Bataille argued that true sovereignty requires a violent plunge into the "outer limits of reality." Saito’s obsessive method of saturating the canvas represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece "Heaven and Earth," dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this by omitting literal commercial iconography. The staggering geological mass suspended against a motionless temple is the formal realization of Bataille’s "outer limits." Conclusion In ZENBI (Vol.10), curators validated Saito’s expression as "a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards." Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his virtuosity exclusively to his private patrons. Validated by a pristine provenance, this closed time capsule is now finally opened to the global art market. Presented by Tsukuba Shokai Gallery. #TomizoSaito #Surrealism #PostWarArt #MaxErnst #TsukubaShokaiGallery

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  • 知られざるシュールの鬼才,齋藤富蔵「果物」5号大,カーボランダム的マチエール,宇都宮美術館出品作

    ¥65,800($416.18)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。 ―― 静謐な空間に際立つ、圧倒的な物質の質量 白銀と淡いグレーが溶け合う幽玄な背景に浮かび上がる果実たち。淡い輪郭で描かれた静寂なリンゴたちの中に、中央手前の柑橘がひとつ、ゴツゴツとした彫刻的な質感(触覚的マチエール)をもって圧倒的な実在感を放ちます。 本作《果物》は、ルネ・マグリットが静物の中に異質な存在感や不条理を描き出したように、齋藤富蔵が日常の果物を通して「日常と非日常の境目」を鮮やかに表現した小品の名作です。5号大という飾りやすいサイズ感でありながら、画面全体から漂う知性と緊張感は、飾る空間を格調高く引き締めます。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 展覧会図録、画集って作者名を意識しないでペラペラめくった程度でも真の大家ならそれだけで只モノではないことはわかります。回顧展の図録みれば齋藤のそれは圧倒圧巻であり紛れもない巨匠そのものであることは皆様もご理解されることでしょう。 どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。 プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。 手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。  まったく市場のデータがないのでお客様の審美眼と私共の信用のみのご判断になりますがシュールの重要作家、北脇昇の4号が毎日オークションで50万円の落札実績がございます。これはかなり参考となるデータでしょう。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  果物 1967年 (図録Ⅲ-9)  第1回陽峯展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P88掲載 技法  紙に水彩、アクリル サイズ  5号大 28,2*37,9cm 額サイズ  44,3*56,3cm サイン  左下にサインあり。 状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。かぶせ箱あり。 備考  真作保証します。 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人 ——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙 近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。 本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。 観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。 1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行 シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。 先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。 2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克 詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。 齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。 3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着 思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。 先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。 彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。 直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。 Tomizo Saito: Official Art Historical Essay The discovery of Tomizo Saito’s handwritten logs (catalogue raisonne) and his copy of the Max Ernst Catalogue (translated by Kunio Iwaya) marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre supersedes traditional Japanese modern art by internalising the radical mechanics of European Surrealism through rigorous physical execution. His structural fortitude echoes three distinct ideological resonances: 1. Andre Breton: The Repudiation of Mimesis Breton demanded an "absolute rupture with the mimesis of external appearance." Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship, renounced mimetic realism. Treating motifs like pottery and butterflies with forensic precision, he deployed a dense, structural matiere that forces a psychological threshold (depaysement). 2. Rene Crevel: The Master Artisan Crevel crowned the true avant-garde visionary as the "master artisan" capable of forging structural marvels. Saito’s canvas operates precisely as this artisan, liberating fossilized butterflies into the pictorial space like "invisible midday birds wandering through midnight clouds," severing the viewer from daily reality. 3. Georges Bataille: Beyond Industrious Labor Bataille argued that true sovereignty requires a violent plunge into the "outer limits of reality." Saito’s obsessive method of saturating the canvas represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece "Heaven and Earth," dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this by omitting literal commercial iconography. The staggering geological mass suspended against a motionless temple is the formal realization of Bataille’s "outer limits." Conclusion In ZENBI (Vol.10), curators validated Saito’s expression as "a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards." Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his virtuosity exclusively to his private patrons. Validated by a pristine provenance, this closed time capsule is now finally opened to the global art market. Presented by Tsukuba Shokai Gallery. #TomizoSaito #Surrealism #PostWarArt #MaxErnst #TsukubaShokaiGallery

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  • 齋藤富蔵,トマトシリーズ下絵15枚のスケッチブック,カゴメ創業者蟹江一太郎の魂ここにあり,マヤ文明,トマト王の再生,産業史重要資料

    ¥420,000($2,656.44)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 ―― 巨匠の脳内と奇跡の構想が立ち現れる、第一級の美術史資料 100号の大作《トマト(幻)》をはじめとする、齋藤富蔵の代表作「トマトシリーズ」。カゴメ株式会社の創業者・蟹江一太郎氏(K氏)への深き敬意から生まれ、一陽展図録のカゴメ広告原画として結実したあの一連の金字塔は、いかにして誕生したのか――。 本出品は、画家の思考の閃き、試行錯誤の軌跡、そして完璧なる構図の完成へと至るプロセスが克明に刻まれた、奇跡の「直筆構想スケッチブック(素描・下絵 15絵柄)」です。 単なるデッサンを超え、ひとつの歴史的名作群が立ち現れる瞬間を封じ込めた、美術史・産業史において二度と手に入らない絶対的な資料価値を誇る逸品です。 ■ 画面に刻まれた「トマト王」創出のドキュメント 掲載画像から窺える通り、本スケッチブックには「トマトシリーズ」の核心をなす重要モチーフの推敲が克明に描き残されています。 パレンケ遺跡の石棺と「翡翠の仮面」の推敲メキシコ・マヤ文明のパカル王の石棺を下敷きとし、仮面と石碑枠のバランス、そして内部に埋め尽くされるトマト群(「トマト人間」の概念)が段階を追って精密に計算されていく様子。 「蛇口と波紋(K氏の使命)」の構図展開青空に浮かぶ巨大なトマト断面、そこに据え付けられた水栓(蛇口)、そして海面に広がるミルククラウンの緻密な線描による配置計算。 グリッド配置(マルセル・デュシャン的レディメイドの神聖化)日常の農作物(トマト)を幾何学的に秩序化していく知的な試行錯誤の跡。 齋藤富蔵の実家「齋虎商店」がカゴメの有力取引先として那須工場進出を助けた歴史的史実と相まって、蟹江一太郎氏へのオマージュが如何に深い熱量と計算をもって描かれたかが立証されます。 ■ 宇都宮美術館(初代館長・谷新氏)による公的評価の原点 ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを歴任し、ルネ・マグリットの至宝《大家族》を約6億円で導入した伝説の目利き・谷新(たに あらた)初代館長。谷氏が自らの評論家人生の総決算として宇都宮美術館で大回顧展を開催し、日本の前衛美術史に刻んだ齋藤富蔵。本スケッチブックは、公立美術館の厳格な稟議を経て絶賛された名作群の「遺伝子」そのものであり、展覧会図録の補完資料としても極めて高い学術性を誇ります。 ちなみに本スケッチブックではございませんが1964年の個展で29枚収まった壺を描いたスケッチブックをみたあるお客様が30万円で売ってくれとおっしゃったそうですが即座に断られたそうです。現在の換算額でいえば130万円から340万円くらいでしょう。(参考は大卒初任給比較、消費者物価指数比較)なんとも今も昔もすばらしい目利きさんが存在しました。素描自体の技量も必見で、これだけのレベルは当時の近代洋画の巨匠たちや写実の実力派を凌駕いたしております。白髪一雄を90年頃100号を10万円、草間の原画を60年に1万円で買った方もいたように。宇都宮美術館様は斎藤富蔵の良い作品を数点ご遺族様から寄贈されました。それは確かなチョイスでしたがこれは選択からはずれてよかったと思います。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  スケッチブックの素描15枚  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館) 図録P59,P60,P63掲載。 技法  紙に鉛筆や水彩など サイズ  32*41cm 額サイズ  なし サイン  翡翠のお面の素描にサイン、印あり。その他鉛筆素描1枚のみ鉛筆サインあり。 状態  作品のコンディションは画像をご参考に自己責任にてご判断お願いします。紙にしみがある作品あり。 備考  真作保証します。画像の図録は付きません。 Tomizo Saito: Official Art Historical Essay The discovery of Tomizo Saito’s handwritten logs (catalogue raisonne) and his copy of the Max Ernst Catalogue (translated by Kunio Iwaya) marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre supersedes traditional Japanese modern art by internalising the radical mechanics of European Surrealism through rigorous physical execution. His structural fortitude echoes three distinct ideological resonances: 1. Andre Breton: The Repudiation of Mimesis Breton demanded an "absolute rupture with the mimesis of external appearance." Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship, renounced mimetic realism. Treating motifs like pottery and butterflies with forensic precision, he deployed a dense, structural matiere that forces a psychological threshold (depaysement). 2. Rene Crevel: The Master Artisan Crevel crowned the true avant-garde visionary as the "master artisan" capable of forging structural marvels. Saito’s canvas operates precisely as this artisan, liberating fossilized butterflies into the pictorial space like "invisible midday birds wandering through midnight clouds," severing the viewer from daily reality. 3. Georges Bataille: Beyond Industrious Labor Bataille argued that true sovereignty requires a violent plunge into the "outer limits of reality." Saito’s obsessive method of saturating the canvas represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece "Heaven and Earth," dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this by omitting literal commercial iconography. The staggering geological mass suspended against a motionless temple is the formal realization of Bataille’s "outer limits." Conclusion In ZENBI (Vol.10), curators validated Saito’s expression as "a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards." Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his virtuosity exclusively to his private patrons. Validated by a pristine provenance, this closed time capsule is now finally opened to the global art market. Presented by Tsukuba Shokai Gallery. #TomizoSaito #Surrealism #PostWarArt #MaxErnst #TsukubaShokaiGallery

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  • 知られざるシュールの鬼才,齋藤富蔵「いちご」5号大,カーボランダム的マチエール,POPな詩的驚異,宇都宮美術館出品作

    ¥65,800($416.18)

    大正生まれの高校生から商業広告を手掛け、美術学校で学び、一陽でも精力的に出展、地元でも個展開催、弟子多数にも拘らず販売履歴がないのは「売れなかったから」ではなく、「売る必要がないほど高い次元で守られ、愛されていたから」です。昭和の政財界の巨人たちに独占され、ご遺族の手で大切にカプセル化されていたからこそ、令和の今、「100%手垢のついていない状態」でネット市場に突如として降臨、まさに奇跡の画家。この絵柄もそうだが、ストーリーを知るほどに尊い作品です。私は日々オークションの下見会場や美術団体展などを拝見した中で純度でいえば史上最高の出会い。こんな俗世間をしらない清澄な絵柄みたことなかった。ただの写実風景ならいざしらずシュールでありながら誠実で外連味ない作品はこの世にこの作家さんの作品のみではないかと思う。 わたしは8月にご遺族様から入手したこの作家さんの作品たちが検索しても1件もヒットしないという状態、裏を返せば「このオークショをみつけたひとだけが世界で最初の目撃者になれる」という圧倒的なプレミアム感を生み出してます。 あらためて私っぽく言えば上記は綺麗な内容も含まれてましたが私が興奮してご紹介してるのは、長きにわたって活動してる実力画家の作品が今世のネットに一件もひっかからないのがいかにこわいほど奇跡かを理解しすぎてるからです。ネット出身の画廊ともいえる私どもだからです。正直、世界中でも稀と思います。まず大正生まれで高校から描いてた長きにわたるキャリアであること。特段、山奥でひたすら寺院などで活動されてたわけではなく宇都宮、京都、東京で普通に活動してたこと。味の素会長やカゴメ創業者に寵愛を受けてたとはいえ、スケッチブック、色紙、小品も含めたら漏れないのが不思議。画塾も運営。個展も開催。あげればきりがない活動歴でネットに出ないのはマジックなみです。グーグルやマイクロソフトが何かしなければできないほどの奇跡。もちろんこの尊い作品の内容が伴っての奇跡。そこが無名作家では永久にされないであろう宇都宮美術館の本気に繋がったのでしょう。作者本人、宇都宮美術館館長・谷新氏のふたりがいなくなってしまい宇都宮の図録とご子息の情報、そして作品自身から得た情報で斎藤富蔵の芸術をマーケットにデビューさせていただきます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  いちご 1968年 (図録Ⅲ-08)  第2回陽峯展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P89掲載 技法  紙に水彩、アクリル サイズ  5号大 28,2*37,9cm 額サイズ  44,3*56,3cm サイン  右下にサインあり。 状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。かぶせ箱あり。 備考  真作保証します。 『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ転載 見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに 寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員) 現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。 宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。 その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。 さらに70年代からは自然破壊の警鐘を鳴らすべく奥日光の自然を精緻な点描で描いた深山シリーズを発表するなど独自の画風を展開し遂げた。本展開催がこのような齋藤作品の特異な位相を浮かび上がらせるとともに、さきの画材の件も含めていまだ十分に検証されたとはいえない戦後日本の水彩画の歴史の再考を促すきっかけとなることを期待している。 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展図録(巌谷國士氏・訳 1977)」が発見されました。本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様のご蒐集心よりお待ち申し上げております。 2016年、宇都宮美術館では「齋藤富蔵展」が開催されました。 齋藤富蔵は、長年にわたり広く知られた作家ではありませんでした。しかし、同展を実際に鑑賞した美術関係者からは、その作品について極めて注目すべき評価が示されています。全国美術館会議の機関誌『ZENBI』Vol.10では、同展について紹介され、図録巻頭論文における宇都宮美術館・谷新氏の見解として、齋藤の表現について、「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」との評価が紹介されています。さらに、齋藤については、「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識」を持つ作家として論じられ、今後の検証によって、戦後美術史に新たな解釈の切り口と可能性をもたらすことが期待される、という趣旨の考察が掲載されています。また、同誌でこの展覧会を論じた足利市立美術館・江尻潔氏も、齋藤の作品について、既存の美術史の主流とは異なる魅力や、同時代の「はやり」に流されなかったことによって生まれた強いメッセージ性に注目しています。 そして、既存の評価軸だけでは捉えきれない作品を見いだすためには、今後「さまざまな尺度」が必要であるとの考察へとつながり、既に評価されている作家と、これまで見落とされてきた作家が新たに結び付くことで、美術史に新しい「星座」が描かれていく可能性が示されています。これは、単に「知られていない地方作家」という一面的な評価ではありません。 2016年の時点で、全国美術館会議の機関誌において、齋藤富蔵という作家の表現が、既存の戦後美術史の尺度だけでは十分に位置づけられない可能性が、専門家によってすでに指摘されていた。 本作品をご覧いただく際には、現在の市場での知名度だけではなく、こうした既存の美術館・美術関係者による評価も含め、作品そのものをご自身の眼でご判断いただければと思います。 齋藤富蔵の作品が、これからどのような美術史的位置を与えられていくのか。 その可能性を考えるうえでも、2016年の展覧会と、それをめぐる当時の批評は重要な記録の一つです。そして、これは私自身の評価を押しつけるためのものではありません。 2016年の時点ですでに、美術館関係者によってこうした問題提起がなされていました。ぜひ現在の作品を、皆様ご自身の眼で実際にご覧いただければと思います。 出典:全国美術館会議『ZENBI』Vol.10(2016年) 宇都宮美術館にマグリットの《大家族》を迎え入れた谷新氏が、齋藤富蔵の作品を前にして立ち尽くし、「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」と評した理由。それは、齋藤富蔵のキャンバスの中に、「エルンストの思想の背骨を持ちながら、マグリットの清澄な空間統制をベースにし、それをオルブライトに匹敵する狂気的な職人技で描き切った、西欧の誰も到達できなかった奇跡の融合形態」を見たからです。 日本の近代洋画壇の旧来絵画(見たまんまの小綺麗さ)を遥かに置き去りにした、規格外の天才。 斉藤富蔵展図録 館長谷新氏の序文一部 宇都宮美術館・谷新氏 評論文 書き出し全文 まだまだ発掘し検証しなければならない作家は多い。宇都宮が生んだ齋藤富蔵という画家もそのひとりである。この画家のことは10年ほど前まではほとんど知らなかった。宇都宮ゆかりの作家のひとりとしてその存在は名前程度に念頭にあっただけである。 10年ほど前、その遺作をまとめて見る機会があって、その表現の特異性に目を見張った。早速、学芸員が調査に入り、展覧会以前にまず遺作のうちの数点の寄贈を受ける。それらのうち何点かはすでに美術館のコレクション展でも展示され、異風を放つその表現に感じ入ったひとも多いだろう。ともかく単純にいって変わっているのである。 変わっているのは根拠や背景がなく変わっているのではない。その表現は、生きた時代や流行の表現状況に類同した表現ではなく、はっきりした自分の立ち位置や絵画に対する考え方が明確に備わっている。くわえてこれらの絵画は、モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、それを実現しようとするコンセプトのほうが先行して顔料などの使用素材、布や紙など支持体の研究がおろそかにされがちである。 齋藤富蔵の表現は、この両方がバランスよく追求されている。というより、表現方法的に見れば、すでにバランスは欠いているといったほうが正確かもしれない。全体をまとめ上げるという表現全体の問題意識と、イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させるばあいが見られるなど、表わされた全貌をもってまとまった絵画とする考え方からはおおいに逸脱しているといわざるをえないからである。両極端、いわば北極南極の両極性に向かって、天秤のバランスをとるようではなく、それぞれの極性に向かって他極をさして考慮しないかのようなディテールへの介入をおこなうのである。それは後述するようにアカデミックな表現観にもとづくのではなく、その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせるだろう。 激動の戦後美術史の多様な表現動向に拮抗し、あるいはそれらを潜り抜けながら齋藤がめざした世界とはいったいどのようなものだったであろうか。国内はもとより海外で今日きわめて高く評価されるようになった「具体」、「もの派」などに代表される日本の戦後美術は、ある特定のエコールに偏重した傾向を近年ますます示しつつあり、同時に解釈もステレオタイプ化して新しく次代に連なる解釈の可能性が見出しづらくなっていることも事実だろう。 齋藤富蔵の表現についてまずいっておかなければならないことは、そうした戦後日本の注目を集めるインターナショナルやグローバルな規範に準拠した表現と比較対照はできるが、むしろそれらとの関係は希薄というに近い、ということである。そうした従来の美術史の水準では語りえない独自の表現を生み育て形成しえたこと、齋藤富蔵はまさにそのことによって戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識を示し、今後さらに検証の機会を積んで、新しい解釈の切り口と可能性を戦後美術史に記すようになるだろう。 【公式図録の検証】「かわいらしさ」の裏に潜む、支持体(紙)への旺盛な実験精神 ——宇都宮美術館・谷新氏が論文で明かした、素材の探求と「いちご」に宿る詩的驚異 「いちご」5号大は、一見するとポップで極めて瑞々しい、愛らしい静物画の佇まいを持っています。しかし、本作の本質は、旧来の近代美術が描いてきた単なる「見たまんまの綺麗な果物」の枠組みを根底から解体する、極めてアカデミックな前衛の器です。 宇都宮美術館の公式図録論文において、谷新氏が絶賛した先生の「素材への執念」を基軸に、本作に仕掛けられた造形理論を解剖いたします。 ■ 1. 宇都宮美術館論文が証明する「支持体(紙)への旺盛な実験精神」 公式図録の論文において、谷新氏は齋藤富蔵の美学について「モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、素材や支持体の研究がおろそかにされがちであるが、齋藤の表現はこの両方がバランスよく追求されている」と明記しています。 本作「いちご」において、先生が選んだのは通常の平滑な画紙ではありません。カーボランダム(版画技法などで用いられる炭化ケイ素の粒子)を想起させる、まろやかで有機的な「膨らみ」を帯びた特殊な支持体を自ら成形し、その立体的なテクスチャの上に瑞々しい水彩の色彩を走らせています。紙という表現媒体そのものを彫刻的に変貌させるこのアプローチこそ、館長論文が指摘した「素材に対する徹底的な研究」の生々しい実証です。 ■ 2. ポップな詩的驚異と、齋藤富蔵特有の「冷徹な死生観」の対比 画面中央に並ぶいちごは、水彩ならではの透明感と、生命の極致のようなみずみずしい輝きを放っています。しかし、その果実を包み込む背景の静謐さ、そして支持体の立体的な凹凸が作り出す、光を吸い込むような独特の艶消し(マット)な質感を見てください。 ただ可愛いだけのイラストレーションに甘んじることをきっぱりと拒絶し、物質の皮膚(マチエール)の自重によって、静かに「存在の不気味さ」や「生命の儚さ」を同居させる。バタイユが説いた『現実の外側の宇宙』、そして先生自身が「画面の裏側にある何かを表現したい」と切望したあの潤った現代的センスが、この5号というコンパクトな画面の中にも100%の純度で結晶化しています。 齋藤富蔵展図録の一部 花や野菜、果物、そして郷土玩具。齋藤の理知的な側面をうかがわせる精緻な構図の建物や、独自の世界観を示すトマトシリーズなどとはまた異なり、日常的なモチーフが軽やかに表現され親しみやすさがただよう。それでいて《秋》【1969年、Ⅲ-07】や《果物》【1967年、Ⅲ-09】には盛り上がり表現が用いられており、《大谷石採掘場》【1960年、Ⅱ-10】や蛾のシリーズの流れを汲む表現の探求が引き続き行われている。  こうした"小さな絵"に特徴的なのは、太細豊かな黒の輪郭線を用いて描かれている点である。この輪郭線は墨汁に浸したマッチ棒で描かれたもので、師である荻野康児に指導を受けた技法と考えられる[註1]。荻野が美術雑誌『アトリエ』に掲載したいちごのカット(1964年、挿図1)と《いちご》【1968年、Ⅲ-08】、同じく同誌に掲載された三大木駒のカット(1963年、挿図2)と《[午]》【1960~70年代、Ⅲ-30】など師に倣って描いたと思われる作品がいくつか見られることから、帰郷してからも師弟の関係は続き、齋藤自身も師の作品から学ぼうとする姿勢を携えていたことがうかがえる。 Tomizo Saito: Official Art Historical Essay The discovery of Tomizo Saito’s handwritten logs (catalogue raisonne) and his copy of the Max Ernst Catalogue (translated by Kunio Iwaya) marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre supersedes traditional Japanese modern art by internalising the radical mechanics of European Surrealism through rigorous physical execution. His structural fortitude echoes three distinct ideological resonances: 1. Andre Breton: The Repudiation of Mimesis Breton demanded an "absolute rupture with the mimesis of external appearance." Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship, renounced mimetic realism. Treating motifs like pottery and butterflies with forensic precision, he deployed a dense, structural matiere that forces a psychological threshold (depaysement). 2. Rene Crevel: The Master Artisan Crevel crowned the true avant-garde visionary as the "master artisan" capable of forging structural marvels. Saito’s canvas operates precisely as this artisan, liberating fossilized butterflies into the pictorial space like "invisible midday birds wandering through midnight clouds," severing the viewer from daily reality. 3. Georges Bataille: Beyond Industrious Labor Bataille argued that true sovereignty requires a violent plunge into the "outer limits of reality." Saito’s obsessive method of saturating the canvas represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece "Heaven and Earth," dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this by omitting literal commercial iconography. The staggering geological mass suspended against a motionless temple is the formal realization of Bataille’s "outer limits." Conclusion In ZENBI (Vol.10), curators validated Saito’s expression as "a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards." Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his virtuosity exclusively to his private patrons. Validated by a pristine provenance, this closed time capsule is now finally opened to the global art market. Presented by Tsukuba Shokai Gallery. #TomizoSaito #Surrealism #PostWarArt #MaxErnst #TsukubaShokaiGallery 富蔵は本来、 観察力が異常に高い人なんだろうな ということ。 蝶もそう。 牛もそう。 野仏もそう。 トマトもそう。 まず対象を異様に観察する。 その観察が行き過ぎると、 《幽玄風翔》みたいになる。 しかしこのイチゴは、 まだ観察の段階。 だから私はこの作品を 普通の絵画「静物画」 で良いと思う。 ただし、 イチゴの可愛らしさを描いているのではなく、 イチゴという存在を静かに見つめている 感じ。 実はこういう作品、 富蔵を理解する上では結構重要。 なぜなら、 《天と地》だけ見ていると 哲学者。 《幽玄風翔》だけ見ていると シュルレアリスト。 ところが、 こういうイチゴを見ると、 根っこは 異常に観察好きな人 だと分かる。 私は最近、富蔵の本質は シュールレアリストというより、 観察者だと思い始めている。 その観察が極限まで行くと、 蝶が魂になり、 森が存在論になり、 トマトが神話になる。 でもこのイチゴは、 まだその手前。 だから気楽に見ていい。 無理やり 「青が不穏!」 「深層心理!」 「無意識の恐怖!」 みたいに解釈する必要はないと思う。 むしろ、 富蔵の素直さや観察眼が出た、良質な静物画として見る方がこの作品には合っている気がします。

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  • 戦後日本前衛を再編成する鬼才,齋藤富蔵「トマト(K氏の出合)」80号,カゴメ蟹江氏に捧ぐ,創業魂ここにあり,広告重要原画,デペイスマン

    ¥4,965,000($31,402.89)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 〇本作品《トマト(K氏の出合)》は、齋藤富蔵が描いた「トマトシリーズ」の中でも、もっとも重厚かつ神秘的な造形美を誇る80号の金字塔です。 日本の西洋野菜栽培および国産トマトジュースの礎を築いた「カゴメ(KAGOME)」の創業者・蟹江一太郎氏(K氏)と画家との運命的な交友・出合に対する深い敬意(オマージュ)として制作され、実際に同社の企業広告等にも採用された由緒正しき代表作です。 青空へと聳え立つ、古代のエジプトやマヤの石碑を思わせる重厚な彫刻のレリーフ。その中央の青き空間に、生命の象徴のごとく整然とグリッド状に並べられた艶やかなトマトの群れ。そして上部で静かに眼差しを向ける、石彫のような神聖な仮面(人物像)。 画家が蟹江氏という一人の偉大な開拓者と出会い、その情熱と志に触れた衝撃と記憶を、まるで永久に風化しない「神殿の銘文」のごとく絵画へ刻み込んでいます。 齋藤先生の実家「齋虎商店」はカゴメさんの有力な取引先であり栃木の那須に工場進出した際に齋藤が手助けをしたというエピソードも残されております。 マルセルデュシャン的概念の格子構造と「レディメイドの神聖化」・・日常物である農作物(トマト)を幾何学的に反復・配置する構図は、マルセルデュシャンが提示した「既製品(レディメイド)の概念」やマスプロダクションへの美学的回答です。単なる描写にとどまらず、同じモチーフをグリッド状に秩序化することで、日常品を神聖な儀式的オブジェクトへと昇華させる高度な知性が見られます。 滝口修造が求めた「詩的解釈」と記号の錬金術・・日本のシュルレアリスム運動の理論的支柱・滝口修造。彼が説いた「日常の記号を解体し、詩的な驚異(コンプレックス)へと組み換える」手法が完璧に展開されています。青空、彫刻枠、静謐な仮面、そして真っ赤なトマト。異質な要素が結合することで、観る者に「歴史と生命の出会い」という深遠なポエジーを想起させます。 ご覧頂きます通り、一企業の広告原画にとどまらず世界基準の圧倒的な前衛芸術でございます。 宇都宮美術館の会場では一番異彩を放ち最も印象深い作品と思われたでしょう。あの大会社の創業者の魂がここに宿ってるようです。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。 プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。 手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  トマト(K氏の出合) 1973年 (図録Ⅱ-43)  第19回一陽展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P62掲載  第19回一陽展図録広告頁、「カゴメ株式会社広告」図柄 技法  木枠に張ったキャンバスに水彩 サイズ  約P40号 145,8*97,3cm 額サイズ  104,5*152,5cm サイン  左下にサインあり。 状態  作品大体良好。 備考  真作保証します。 美術史上の再検証を考えるうえで重要な記録 2016年、宇都宮美術館では「齋藤富蔵展」が開催されました。 齋藤富蔵は、長年にわたり広く知られた作家ではありませんでした。しかし、同展を実際に鑑賞した美術関係者からは、その作品について極めて注目すべき評価が示されています。 全国美術館会議の機関誌『ZENBI』Vol.10では、同展について紹介され、図録巻頭論文における宇都宮美術館・谷新氏の見解として、齋藤の表現について、 「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」 との評価が紹介されています。 さらに、齋藤については、 「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識」 を持つ作家として論じられ、今後の検証によって、戦後美術史に新たな解釈の切り口と可能性をもたらすことが期待される、という趣旨の考察が掲載されています。 また、同誌でこの展覧会を論じた足利市立美術館・江尻潔氏も、齋藤の作品について、既存の美術史の主流とは異なる魅力や、同時代の「はやり」に流されなかったことによって生まれた強いメッセージ性に注目しています。 そして、既存の評価軸だけでは捉えきれない作品を見いだすためには、今後「さまざまな尺度」が必要であるとの考察へとつながり、既に評価されている作家と、これまで見落とされてきた作家が新たに結び付くことで、美術史に新しい「星座」が描かれていく可能性が示されています。 これは、単に「知られていない地方作家」という一面的な評価ではありません。 2016年の時点で、全国美術館会議の機関誌において、齋藤富蔵という作家の表現が、既存の戦後美術史の尺度だけでは十分に位置づけられない可能性が、専門家によってすでに指摘されていた。 本作品をご覧いただく際には、現在の市場での知名度だけではなく、こうした既存の美術館・美術関係者による評価も含め、作品そのものをご自身の眼でご判断いただければと思います。 齋藤富蔵の作品が、これからどのような美術史的位置を与えられていくのか。 その可能性を考えるうえでも、2016年の展覧会と、それをめぐる当時の批評は重要な記録の一つです。 そして、これは私自身の評価を押しつけるためのものではありません。 2016年の時点ですでに、美術館関係者によってこうした問題提起がなされていました。ぜひ現在の作品を、皆様ご自身の眼で実際にご覧いただければと思います。 出典:全国美術館会議『ZENBI』Vol.10(2016年) 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人 ——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙 近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。 本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。 観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。 1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行 シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。 先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。 2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克 詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。 齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。 3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着 思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。 先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。 彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。 直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております

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  • 戦後日本前衛を再編成する鬼才,齋藤富蔵「トマト(幻)」M100号,偉大なるトマト王,蟹江一太郎氏に捧ぐ,カゴメ広告原画,宇都宮美術館出品作

    ¥8,800,000($55,658.69)

    シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。 ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。 国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。 日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。 宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。 著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。 マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。 宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。 谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。 その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。 宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません ☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。 日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。 福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。 【「日本のトマト王」に捧ぐ神話的オマージュ――マヤ古代遺跡とカゴメ創業史が交錯する最高峰100号 斉藤富蔵展チラシ採用作品】 本作品《トマト(幻)》は、齋藤富蔵が手掛けた名高き「トマトシリーズ」の中でも、最も巨大なスケールと深遠な古代史的モチーフが融合した100号の金字塔です。 一陽展図録においてカゴメ株式会社の広告(キャッチコピー「思わずつられる……香りのカゴメソース」)として実際に採用された輝かしい実績を持つ由緒正しき原画であり、美術史的・産業史的に極めて高い史料価値を誇ります。本作《トマト(幻)》は、 戦後日本前衛を再編成する巨匠・斎藤富蔵が手掛けた代表作であり、 創立20周年記念「一陽展」出品作 です。 この展覧会の広告ページに、カゴメ株式会社が広告出稿し、 その図柄として掲載されたのが、まさにこの《トマト(幻)》でした。 企業広告に美術作品が採用されること自体が極めて稀であり、 それが創業者・蟹江一太郎と深い縁を持つ斎藤富蔵の作品だったことは、 カゴメと斎藤富蔵の絆の象徴 といえるでしょう。 画家の実家「齋虎商店」は、カゴメの有力取引先として栃木・那須への工場進出時に絶大な手助けを果たした歴史的背景を持ちます。本作は、日本の西洋野菜栽培および国産トマトジュースの礎を築いた「日本のトマト王」ことカゴメ創業者・蟹江一太郎氏(K氏)への深き敬意と、両者の固い絆から生まれました。 ■ 画面に秘められた神話的暗号:マヤ文明「パレンケ遺跡」と「トマト人間」 画解の最大の手掛かりは、1952年にメキシコ・マヤ文明の「パレンケ遺跡(碑銘の神殿)」で発見された7世紀の偉大なる君主・パカル王の石棺です。 発掘時、パカル王の顔には神秘的な「翡翠(ヒスイ)の仮面」が装着されていました。齋藤富蔵は、この古代王の棺をデザインの下敷きとし、仮面の主を「日本のトマト王・蟹江一太郎氏」に見立てて本作を構築しています。 石碑状の枠内に整然と並べられた青々としたトマト群は、仮面の下に横たわる王の身体そのもの――すなわち全身が生命の源泉で満たされた「トマト人間」の横たわる姿に他なりません。画面外(手前)へ一個転がり出たトマト、そして右上の草原に佇む神秘的な白い動物のモチーフ。まさに「幻」というタイトルに相応しい、古代の記憶と日本の産業開拓史が奇跡の融合を果たした圧巻の幻想世界です。 ご覧頂きます通り、一企業の広告原画にとどまらず世界基準の圧倒的な前衛芸術でございます。 宇都宮美術館の会場では一番異彩を放ち最も印象深い作品と思われたでしょう。あの大会社の創業者の魂がここに宿ってるようです。 ■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。 普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。 文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。 どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。 プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。 手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。 紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  トマト(幻) 1974年 (図録Ⅱ-44)  第20回一陽展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P62掲載 A4チラシ図柄  第20回一陽展図録広告頁、「カゴメ株式会社広告」図柄 技法  木枠に張ったキャンバスに水彩 サイズ  M100号 162*97cm 額サイズ  99,7*164,5cm サイン  左下にサインあり。裏木枠に一陽展出品票貼り付けあり。 状態  作品概ね良好。右上の動物の脇にごくかすかなひびあり。額は展覧会用の木製仮額でアクリル板は付いておりません。 備考  真作保証します。 戦後日本の前衛を再編成する鬼才,齋藤富蔵——ベルナール・ビュフェの硬質な線と、イヴァン・オルブライトの魔術的細密の交差点 大正に生まれ、日本の戦後前衛の熱気の中で独自の眼差しを極限まで研ぎ澄ませながらも、昭和の政財界の重鎮(カゴメ創業者、味の素会長等)という限られたパトロンに独占され、今日まで市場流通が「完全ゼロ」であった奇跡の怪物。彼の造形力は、日本の近代洋画が内包する「生ぬるい情緒」や「美大受験の延長線上にある正しいだけの写実」を遥かに超越しています。 彼の絵画が放つ圧倒的な物質的質量と前衛性は、日本の狭い画壇の枠ではなく、戦後海外の美術史における2つの強烈な頂点と結びつけることで、初めてその真価が論理的に証明されます。   1. ベルナール・ビュフェが遺した「時代を刺す硬質な線」の系譜 戦後フランスにおいて、それまでの具象絵画の常識を覆し、剃刀のように鋭利な黒い直線で時代の孤独を表現した天才、ベルナール・ビュフェ。 齋藤富蔵の画面を支配するあのインクの点描、そして一切の逃げ場を排した骨格の描写密度は、まさにビュフェが持っていた「画面を凍りつかせる、張り詰めた線の持続力」と完全に共鳴しています。情緒的な美しさに逃げることなく、鋭く、硬く、乾いた線の集積だけで世界の不条理を2次元に定着させるその執念。日本の戦後画壇の誰もが到達し得なかった「線を自立させる技術」において、齋藤富蔵はビュフェと同じ戦後前衛の硬質な精神性を宿しています。  2. イヴァン・オルブライトの「存在をねじ伏せる魔術的超細密」の顕現 アメリカの魔術的リアリズム(シュールレアリスム)の怪物であり、物質の風化やしわ、錆びの質感を顕微鏡レベルの偏執的な描写で描ききったイヴァン・オルブライト。 齋藤富蔵が対象(トマト、牛、あるいは古代の遺物)と対峙したときの眼差しは、このオルブライトが持っていた狂気的なまでの即物性と重なります。背景のボカシや空気のグラデーションによって立体感を「演出」する一般的な写実とは異なり、彼はモチーフの皮膚、傷、風化のすべてを執念深く剥き出しにし、物質そのものの自重で空間を歪ませるような強烈な実体感(質量)を作り出します。観る者をねじ伏せ、存在の深淵へと引きずり込むこの「魔術的な密度」こそが、齋藤富蔵という作家の最大の核心です。 3. 「情報の空白」が証明する、100%手垢のついていない血統(プロヴェナンス) これほどの圧倒的な技量と、一陽会をはじめとする公募展での確かな足跡、そして財界トップからの寵愛を受けながら、なぜ今日までネット上に1点も販売履歴がなかったのか。 その「不思議」に対する答えは極めて明快です。彼は生活のために絵を一般市場に売る必要が全くないほど高い次元で守られ、愛されていたからです。パトロンたちの手元やご遺族の元で大切にカプセル化されていたからこそ、令和の今、貴方の前に「100%手垢のついていない状態」で突如として降臨することができました。 ■ 真の審美眼を持つ美術愛好家の皆様へ 仕掛けられた流行に流されるままコンテンポラリーアートに大金を投じるか、それとも美術史の闇に埋もれていた巨大なタイムカプセルを開け、未来の教科書に載るべき「本当の天才」の最初の目撃者(インサイダー)になるか。 【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人 ——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙 近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。 本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。 観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。 1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行 シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。 先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。 2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克 詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。 齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。 3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着 思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。 先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。 彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。 直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。   Tomizo Saito: Official Art Historical Essay The discovery of Tomizo Saito’s handwritten logs (catalogue raisonne) and his copy of the Max Ernst Catalogue (translated by Kunio Iwaya) marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre supersedes traditional Japanese modern art by internalising the radical mechanics of European Surrealism through rigorous physical execution. His structural fortitude echoes three distinct ideological resonances: 1. Andre Breton: The Repudiation of Mimesis Breton demanded an "absolute rupture with the mimesis of external appearance." Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship, renounced mimetic realism. Treating motifs like pottery and butterflies with forensic precision, he deployed a dense, structural matiere that forces a psychological threshold (depaysement). 2. Rene Crevel: The Master Artisan Crevel crowned the true avant-garde visionary as the "master artisan" capable of forging structural marvels. Saito’s canvas operates precisely as this artisan, liberating fossilized butterflies into the pictorial space like "invisible midday birds wandering through midnight clouds," severing the viewer from daily reality. 3. Georges Bataille: Beyond Industrious Labor Bataille argued that true sovereignty requires a violent plunge into the "outer limits of reality." Saito’s obsessive method of saturating the canvas represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece "Heaven and Earth," dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this by omitting literal commercial iconography. The staggering geological mass suspended against a motionless temple is the formal realization of Bataille’s "outer limits." Conclusion In ZENBI (Vol.10), curators validated Saito’s expression as "a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards." Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his virtuosity exclusively to his private patrons. Validated by a pristine provenance, this closed time capsule is now finally opened to the global art market. Presented by Tsukuba Shokai Gallery. #TomizoSaito   ☆最重要作品には他作家と比べ結構高額といえる作品も含まれますがその価格はこの歴史の先取りに挑むにふさわしい、圧倒的な割安感を持ったゲートウェイです。わたしは元来、紀尾井町の店舗でもネットのマーケットでも作品に自信があればポジティブで強力なコメントもいたしますがどれもが本気であり斎藤富蔵は百貨店の美術部の個展レベルではなく国立美術館や海外オークションハウスの強度があると断言いたします。本物を見極められるお客様に早期回収される前にいかがでしょうか?紀尾井町の画廊でもご高覧可能です。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

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  • 近代洋画史を塗り替える鬼才,齋藤富蔵「幽玄風翔」P100号,淡く静謐な空間に宿る狂気,聖域を守る結界,宇都宮美術館出品作,市場ゼロの奇跡

    ¥1,990,000($12,586.45)

    齋藤富蔵《幽玄風翔 Ⅳ-15》 P100号 2016年、宇都宮美術館では約140点による大規模回顧展「齋藤富蔵展」が開催されました。 長年広く知られることのなかった齋藤富蔵(1919-1993)ですが、この回顧展を契機として、その画業はあらためて再検証の対象となっています。 全国美術館会議機関誌『ZENBI』では、足利市立美術館館次長兼学芸員であった江尻潔氏が本展について論考を寄せ、齋藤富蔵の表現が既存の尺度だけでは十分に捉えきれない可能性を持つことを指摘しています。 また東京新聞文化欄では、 「これほど本格派の作家が埋もれていたとは」 と評されました。 宇都宮美術館初代館長・谷新氏は、日本の現代美術を長年国際舞台へ紹介してきた美術評論家として知られています。 その谷氏が館長として在任中に開催した大回顧展は、単なる郷土作家紹介にとどまるものではなく、戦後日本美術の中で齋藤富蔵を再検証する試みでもありました。 さらに2020年の宇都宮美術館開館25周年記念展では、収蔵作品を代表する作品群の一つとして齋藤富蔵作品が紹介されています。 齋藤富蔵の世界 日本のシュルレアリスムを語る際、古賀春江や福沢一郎の名は避けて通ることができません。 しかし齋藤富蔵の作品世界は、それら先駆者とは異なる独自の方向へ展開しました。 自然。 生命。 変容。 飛翔。 そして存在そのもの。 齋藤富蔵は、単なる幻想表現や奇抜な超現実性に留まることなく、日本の自然観や精神性と結びついた独自の世界を築き上げています。 《幽玄風翔 Ⅳ-15》について 本作《幽玄風翔》は、齋藤富蔵晩年を代表する「蝶」シリーズの重要作です。 私自身、これまで見てきた齋藤富蔵作品の中でも特に重要な一作と考えています。 画面全体を覆う深い森。 無数の木々。 気の遠くなるような細密描写。 一見すると自然風景ですが、本作が描いているのは単なる風景ではありません。 そこには現実を超えた静寂があります。 風もない。 音もない。 ただ森だけが存在している。 その沈黙の空間を巨大な蝶たちが漂っています。 東京新聞文化欄では、齋藤作品の蝶について 「飛翔と彷徨」 という興味深い表現が用いられました。 飛び続ける存在でありながら、どこにも定着しない存在。 生と死。 変容と再生。 蝶は齋藤富蔵の画業において、そのような意味を帯びた極めて重要なモチーフでした。 本作の圧倒的な特徴は、その描写密度にあります。 遠景の樹木から前景の枝先に至るまで、ほとんど妥協なく描き込まれています。 しかしそれは単なる写実ではありません。 自然を再現しているというより、 自然の奥に潜む精神性そのものを描こうとしている。 そう感じさせる作品です。 マックス・エルンストの幻視的な森や、イヴァン・オルブライトの執拗な描写を連想する方もいるかもしれません。 けれど本作はそれらの模倣ではありません。 奥日光の自然。 日本人の自然観。 そして齋藤富蔵自身の人生観。 それらが融合することで生まれた極めて個人的な精神風景です。 私はこの作品を前にすると、 「人はどこから来て、どこへ向かうのか」 という問いを思い出します。 生命とは何か。 自然と人との境界はどこにあるのか。 蝶は飛翔なのか、彷徨なのか。 本作は答えを与えません。 ただ静かに問い続けます。 それこそが《幽玄風翔》という作品の持つ深い魅力であり、齋藤富蔵芸術の核心の一つではないでしょうか。。 どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  齋藤富蔵 タイトル  幽玄風翔(深山シリーズ) 1985年 (図録Ⅳ-15)  第31回一陽展出品  「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P124掲載 技法  木枠に張ったキャンバスに水彩 サイズ  P100号 162,1*112,2cm 額サイズ  164,5*114,5cm 作品の側面に1cm厚の板が貼ってあるだけです。額なしと思ってください。 サイン  左下にサインり。裏木枠にサイン、タイトルあり。 状態  作品良好。 備考   真作保証します。 Saitō Tomizō — The Uncharted Master Who Fills the Missing Chapter of Postwar Japanese Avant‑Garde Art Postwar Japanese avant‑garde has long been narrated through Gutai, Mono‑ha, Informel, and postwar Surrealism. Yet the artist who should have formed the final movement in that lineage remained buried in the strata of art history. Saitō Tomizō (1919–1985). Born the fourth son of the Utsunomiya merchant house Saitora Shōten, he moved fluidly across commercial art, advertising, watercolor, oil painting, and avant‑garde expression—ultimately forging a singular style of “poetic surrealism” unlike any other Japanese painter. ⭐ A Public Museum Lifts the Seal — An Unknown Artist Given a 140‑Work Retrospective Utsunomiya Museum of Art, renowned for its Surrealist collection and its emblematic Magritte The Large Family, granted Saitō a 140‑work retrospective in 2016—an extraordinary gesture for an artist with no market presence. Public museums operate through strict layers of approval: curators → committees → boards of education → city councils. Only artists deemed a “cultural necessity” pass through this process. Saitō did. In the museum’s 25th Anniversary Exhibition (2020), he was selected as one of 16 representative works from roughly 6,800 holdings, placed alongside Magritte, Dufy, Kandinsky, Onchi Kōshirō, and Sugiura Hisui. This is definitive evidence that the museum regards him as a “master of exceptional rank.” ⭐ Tani Arata’s High Praise — “A Poetic Surrealism That Surpasses Magritte Through Japanese Lyricism” Tani Arata, the museum’s founding director and a major figure in Japanese contemporary art criticism— Venice Biennale commissioner, Paris Biennale selector, Gwangju Biennale curator— identified Saitō as a “historical inevitability.” Tani, arguably Japan’s deepest interpreter of Magritte, praised Saitō’s: meticulous landscapes monumental butterflies and cattle ethical stance toward nature social satire metamorphic narratives as a Japanese lyrical transcendence of Magritte’s surrealism. ⭐ The Deep Connection with Kagome Founder Kanie Ichitarō Mythic Imagery Beyond Advertising Saitō’s family business Saitora Shōten played a major role in supporting Kagome’s early factory development in Nasu. This bond led to Saitō’s close relationship with founder Kanie Ichitarō, for whom he produced numerous advertising originals. His masterpiece “Tomato (Vision)” (size 100) was created after Kanie’s death. Drawing on the sarcophagus of Maya king Pakal, Saitō transformed the tomato into a mythic vessel of rebirth: tomato = life sarcophagus = regeneration mask = Kanie Ichitarō A mythological homage to the man who built Japan’s tomato culture. The resonance deepens when considering that Kagome’s lobby once displayed a mural by Mingei‑influenced Mexican modernist Tamiji Kitagawa, now housed at the INAX Live Museum. Thus, Kagome’s history × Mexico × Maya civilization × Japanese avant‑garde intersect in Saitō’s work with uncanny coherence. ⭐ “The Japanese Surrealist Most Likely to Succeed Internationally” While Japanese Surrealist masters—Fukuzawa Ichirō, Koga Harue, Migishi Kōtarō, Kitawaki Noboru—remain largely confined to domestic evaluation, Saitō stands apart: international‑scale compositions large‑format surrealism (100‑size works are virtually unheard of in Japan) conceptual affinity with Magritte confirmed museum valuation zero market data (a pristine, uncontaminated market) These are precisely the conditions international collectors seek. Saitō is arguably “the only Japanese Surrealist capable of conquering the global market.” ⭐ A Master Who Updates Art History Saitō Tomizō is the sole Japanese painter who completed Surrealism as a philosophical system. He occupies the final terminus of the prewar–postwar avant‑garde continuum. Now, in the Reiwa era, he has been miraculously unearthed— a “newly excavated artifact” from the geological layers of art history. Utsunomiya Museum has lifted the seal. The market will form from this point forward. Saitō Tomizō will command the future market. And he will update the history of Japanese art. 齋藤富蔵・全作品共通公式批評テキスト(新美術新聞1面・エルンスト思想融合版) 【造形思想の検証】世界の前衛理論を日本初の新素材と圧倒的画力で具現化した孤高の職人 ——『新美術新聞』1面トップの公式記録と、遺品が明かすマックス・エルンストとの精神的対峙 現在、筑波商会画廊が公開を進めている齋藤富蔵先生の作品群は、旧来の近代美術や日本絵画の生ぬるい情緒の枠組みを遥かに置き去りにする、戦後日本美術史の最大のブラックボックスです。 なぜ、大正生まれの画家がこれほどまでに垢抜けた現代的センスと、純度100%の清澄な死生観を描き得たのか。近年、ご遺族の元から発見された先生の「直筆ノート(全作品目録)」、そしてアトリエの机に生涯大切に遺されていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」、さらには美術界の最高権威である『新美術新聞』2016年2月21日号の「1面トップ記事」という厳然たるファクトによって、そのすべての謎が完全に証明されました。 ■ 1. アンドレ・ブルトンの思想と「外観の模倣の拒絶」 シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの表現を前衛として冷徹に拒絶しました。 先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。 ■ 2. ルネ・クレヴェルの思想と「木こりと家具師」の超克 詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。 齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。 ■ 3. ジョージ・バタイユの思想と、日本初「アルファ・カラー」による物質の皮膚(マチエール) 思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『現実の外側』と評しました。 『新美術新聞』の1面トップ記事(宇都宮美術館学芸員・前村文博氏 寄稿)にて公式に明かされた通り、齋藤富蔵は1963年にターナー色彩から日本で初めて実験的に発売された水性樹脂絵具「アルファ・カラー(のちのアクリル絵具の先駆)」の公式モニターとして、この新素材を最初期から独占的に使用していました。 アメリカの超写実の怪物イヴァン・オルブライトを遥かに凌駕する、あの気の遠くなるような点描とハッチングの積層。乾くと耐水性になり、厚塗りが容易になるという日本初の新素材を世界に先駆けて手に入れたことで、先生はバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」を、キャンバスの上に触れることができるほどの圧倒的な実体感として定着させることに成功したのです。 カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、この世界基準の哲学が肉体労働(執念の描写)によって100%具現化された最高到達点です。 ■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ 2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評し、公立美術館に公式に大作が収蔵されているという絶対的な血統(プロヴェナンス)。 彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。 歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。1回や2回の落札の有無にかかわらず、この価格と価値のハシゴを当画廊は1円たりとも下げることはいたしません。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。 TOMIZO SAITO (1922-2015) Yugen Fusho

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  • 動物絵画の女流巨匠!ジャッキーマリーヴォーグ「アフリカンレパード」石版画,サイン,エディションナンバー入り,最上質,唯一の貴重石版画

    ¥10,000($63.25)

    本作はシートのみで額はございません。ジャッキー作品唯一の世界100枚限定の石版画です。アメリカ作家は基本的にオリジナルとオフセット、ポスターといったラインナップで構成されてる作家が多く、作者が直接関与された石版画というのは結構珍しいです。画像では伝わらないと思いますが風合いがすばらしくジャッキーの作者手作業の石版画はおそらく弊社のみの扱いと思います。 40年以上前に制作された貴重な新品です。最高に質の良いジャッキーの木版画はもうすこしで完売です。ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  ジャッキーマリーヴォーグ タイトル  アフリカンレパード 技法  石版画 サイズ  76,5*56,5cm(シート) 54*42,5cm(イメージ) 額サイズ  なし。 サイン  下部にサイン、エディションナンバーあり。 状態  作品良好。マージンにごくごくかすかな点のしみ?やごくかすかなしわがあるかもしれませんが目立つものではないのでご了承くださいませ。 備考  サンプル画像を掲載いたしておりますのでエディションナンバーは異なります。エディションは100枚限定の分母が〇/100のものと作者が所有してました25枚限定の分母が25の「ap〇/25」の2種がありますがどちらを出荷するかは出品者一任となります。在庫は僅かです。

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  • 新制作協会実力作家,鶴山好一「風屋」S100号大,超大作177*177,仏郊外,退廃的煉瓦の造形物,驚愕描写,孤高の天才

    ¥1,500,000($9,487.28)

    鶴山好一先生は1950年北海道生まれで関西方面でご活躍されております新制作協会の実力派作家です。パリ、ニューヨークの下町裏町、生活情景や外国の荒涼とした郊外、寂れたタンクや倉庫を哀感漂う表現で描かれております。 仮にエコールドパリの時代に仏画壇にいらっしゃったなら邦人作家ではなく佐伯、荻須同様に現地の風土に自然に溶け込めるような作家でしょう。 安井賞で入選、金山賞佳作と難関を突破、美術団体展にて真の実力を魅せつける鶴山作品は一目で凄みある画面に圧倒されます。外国の古い煉瓦塀や落書き、寂れた倉庫は先生の重要テーマです。鶴山先生は幼少期に見た小樽の煉瓦の倉庫群が胸に焼きついており、煉瓦のこだわり描写はもはやそのものです。 本作は新制作展に出品されたS100号大もの超大作でございます。  荻須やユトリロ、児玉、浮田、増田たちにまったくもって負けてません。むしろ煉瓦の落書きは本当に味わい深く、他に類を見ない程洒落ており質感も本物そっくりでバーやイタリアンレストランの間接照明に絶妙なのは彼しかいないかもしれないです。 本州エリアのみの送料込み価格です。以外のエリアのお客様は追加料金がかかります。事前に必ずお問い合わせくださいませ。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  鶴山好一 タイトル  風屋 2006年 関西新制作展出品 技法  板に油彩 サイズ  165*165cm(作品) 170*170cm(側面に板張った外寸) サイン  左下にサインあり。 状態  作品概ね良好。板に描いた作品の側面に板を貼っただけです。額なしと思ってください。 備考  真作保証します。

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  • 独立美術協会,塚本聰「彷徨」S100号アクリル,独立展出品作,超現実/緻密なる迷宮世界 SOMPO/寺田コレクション収蔵作家

    ¥1,100,000($6,957.34)

    ■ 巨編小説のごとき高密度な構想と、圧倒的な密度の密描 本作は、洋画界の有力団体「独立美術協会」において会員として確固たる地位を築く塚本聰(つかもと さとし)画伯による、第56回独立展出品の代表的大作(S100号)です。 文明の崩壊や退廃的な世界観が支配する空間の中に、現実には存在し得ない造造物、果てしない地平線、そして複雑に入り組んだ回廊や迷路が精緻を極めた描写で描き込まれています。1950~60年代に隆盛を極めたシュルレアリスム(超現実主義)や空想科学(SF)の精神を現代に継承した重厚な幻想世界であり、一枚の絵の中に壮大な長編ストーリーが内包されています。 写実を超えた構想段階から制作完了まで数か月~数年もの時を費やし、キャンバスの隅々に至るまで一切の妥協なく描き込まれた本作品は、まさに作家の精魂が注ぎ込まれた傑作と言えます。 【市場における稀少性と価値】 1. 容易に流通しない稀少作品塚本画伯は平素、後進の指導に注力しており、市販目的の小品制作を主としていません。そのため二次市場(オークション等)での流通数は極めて少なく、過去10年でも数点しか確認されておりません。過去には6号サイズの小品で30万円(2016年)の取引記録も存在します。 2. 団体展出品作(100号)という真価安井賞展、前田寛治大賞展、安田火災(現SOMPO)美術財団奨励賞など、日本の洋画壇の第一線で評価されてきた塚本作品ですが、とりわけ50号~100号クラスの大型出品作は、一般的な画廊取扱の小品とは一線を画す圧倒的な見ごたえを誇ります。100号という大画面だからこそ、細密描写の真価と圧倒的な世界観を極限までご堪能いただけます。 3. 公的コレクションへの収蔵実績SOMPO美術館(旧・東郷青児美術館)や、東京オペラシティ アートギャラリー(寺田コレクション)をはじめ、公的・私設美術館や各種機関に多数作品が収蔵されている、確かな実績を持つ実力派作家です。 本作は木枠に張った作品のみで額はございません。 ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。 作家名  塚本聰 タイトル  彷徨 独立展出品作 技法  キャンバスにアクリル サイズ  S100号 162,1*162,1cm 額サイズ  なし。 サイン  裏木枠に出品票貼り付けあり。 状態  作品良好。

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  • 鶴山好一「風屋」S100号油彩、新制作展出品作

    ¥1,300,000($8,222.31)

    戦後洋画史の系譜を塗り替える、ミューズ(美神)に見初められた記念碑的大作。 安井賞・金山賞の寵児が、小樽の原風景とヨーロッパ哀感を昇華させた、生涯の最高到達点。 ■ 美術史的文脈:北方ディシプリンと「エコール・ド・パリ」の交錯 1950年北海道生まれ。新制作協会を舞台に、戦後具象画壇の最高峰である「安井賞」入選、および「金山賞」佳作という極めて高難度の栄誉を掌中に収めた実力派・鶴山好一。 本作は、彼が宿命的に惹かれ続けた「異国の裏町・郊外の哀感」を、S100号(約162cm×162cm)という美術館級のモニュメンタルなスケールで結実させた、洋画史に刻まれるべき壮大な野心作です。 作家の造形思考の根底には、幼少期に深く刻印された小樽の煉瓦倉庫群があります。このドメスティックな記憶(北方の風土性)が、後年のパリやニューヨーク、欧州の荒涼たる郊外風景とマリアージュ(融合)を起こし、日本人離れしたマティエール(画肌)と独自の風土感へと昇華されました。 ■ 表現の検証:ユトリロ、荻須、佐伯の系譜を継承する「時間の堆積」 画面を支配する圧倒的な赤煉瓦の構造物、静謐に降り積もる雪、そして微細な落書きや錆。 これは単なる外在的な風景の写実(レプリカ)ではありません。キャンバス上で絵具を幾重にも重ね、削り、再び立ち上げることで得られた「時間そのものの構造化(堆積)」に他なりません。 モーリス・ユトリロが描いたモンマルトルの白、荻須高徳が愛したパリの壁、佐伯祐三が命を削った広告の文字――。本作には、これら近代洋画の名匠たちが到達した「壁の美学」の系譜が確かに脈打っています。もし鶴山が1920年代の仏画壇に身を置いていたならば、 “邦人洋画家” という枠組みを超え、エコール・ド・パリを代表する “パリの画家” として世界的な評価を獲得していたであろうことは、この画面が放つ圧倒的な絵格(品格)が証明しています。 ■ 市場における資産価値と、空間の支配力 現代のコンテンポラリーアート市場(SBIオークション等)やモダンアート市場において、これほど巨大な画面に対して一切の弛緩なく、極限まで密度と詩情を充填できる技量を持った作家は絶滅危惧種と言えます。 本品は、当画廊の厳重な管理倉庫からの直送となるため、事前に実物をご下見いただくことは叶いません。しかしながら、「画像の印象はあくまで平面的であり、実物が放つ三次元の存在感とマティエールの凄みは、これを遥かに凌駕する」と断言いたします。 いかなる高層レジデンス、現代的な大空間、あるいは贅を尽くした建築においても、一瞬にしてその空間を「美術館」へと変貌させる絶対的な磁場を持った一幅です。 ※本品は画廊の最重要顧客様(コレクター・法人)にも個別にご案内を開始しております。オークション入札、または正式な商談が入る前に売約となった場合は、予告なく出品を取り消させていただきます。審美眼を持つ投資家・コレクター諸賢におかれましては、この世紀の蒐集機会を逸することなきようお願い申し上げます。 お支払い方法やご配送方法などいろいろご相談に応じますのでご遠慮なくメール、お電話くださいませ。筑波商会0332210845 [email protected] 作家名  鶴山好一 タイトル  風屋 関西新制作展出品 技法  板に油彩 サイズ  165*165cm(作品) 177*177cm(額) サイン  左下にサインあり。 状態  作品概ね良好。板に描いた作品で額は側面に板を貼っただけです。 備考  真作保証します。送料込みですが、北海道、沖縄、離島方面は追加料金を頂きます。事前にお問い合わせお願いします。ご決済前に価格をなおします。以外のエリアの方はそのままで結構です。 ご不明な点はお電話やメールで承ります。TEL0332210845 メール[email protected] 6から7の画像はAIによるイメージ画像でございます。 略歴 鶴山好一 1950年 北海道生まれ。 1973年 第26回関西新制作展 初入選(以後毎年出品) 1976年 第40回新制作展 初入選(以後毎年出品) 1977年 第30回関西新制作展 関西新制作賞、大阪市長賞受賞 1980年 第33回関西新制作展 関西新制作研究大賞受賞 1989年 第53回新制作展 新作家賞受賞 協友に推挙   パリスケッチ旅行 1990年 新制作受賞作家展 1993年 第57回新制作展 新作家賞受賞 第37回安井賞展入選 1994年 新制作受賞作家展 第1回レ・シス展(梅田近代美術館) 1995年 第1回金山平三賞記念美術賞展 佳作賞 1996年 第60回新制作展 新作家賞受賞 1997年 新制作受賞作家展 個展(阪神百貨店美術工芸サロン) 2001年 新制作協会 会員推挙 毎日新聞文化教室油絵講師 2002年 個展(阪神百貨店美術工芸サロン) 2008年 個展(阪神百貨店美術工芸サロン

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