1/9

画壇が封印した狂気の鬼才,齋藤富蔵「遊蛾」約40号,デュシャン系の前衛的文脈,彫刻的極厚マチエル,メタリカルな意匠美,宇都宮美術館出品作

¥537,000($3,396.44)

残り1点

International shipping available

シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。

ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。

国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。

日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。

宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。

著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。

マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。

宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。
谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。
その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。
ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。

宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません

☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。

日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。
福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。

■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。

【静寂な樹林に舞う黄金の異形――触覚的マチエールが魅せる最高峰の精神世界】
本作品《遊蛾(ゆうが)》は、齋藤富蔵が生涯をかけて追究した「蛾(自我・弱者)」と「深山・樹木」の対話がもっとも前衛的かつ過激な造形美として結実した40号の傑作です。
凍てつくような銀色の空気感と、画面を垂直に切り裂く無数の黒い枝組み。その静寂な林の中に一列になって佇むのは、鮮烈な黄色で描かれた四頭の蛾たちです。
灰色の空と枯木の森は、戦後の荒廃した精神世界。そこに浮かぶ黄金の蛾は、魂の象徴であり、「光に向かう存在」「自己変容」「再生」を意味します。斎藤富蔵が自己の内面を蛾に託した、 日本シュルレアリスムの最も深い表現の一つです。遅れた巨星、躍り出たシュールの最高峰。
特筆すべきは、黄色いモチーフ部分に施された凄まじいゴツゴツ感を持つ極厚マチエール。 砂や樹脂、水性顔料を過剰なまでに盛り上げ、彫刻のごとく刃を入れたその質感は、平面絵画の枠組みを完全に破壊しています。背景の冷たい静寂と、黄色い部位の不気味なほどの物質的質量――この強烈な視覚と触覚のコントラストが、観る者を一瞬で「和のシュールレアリスム」の深淵へと引きずり込みます。


■まとめ 宇都宮美術館がその執念を結集させ、140点もの大回顧展を打った大正生まれの巨才・齋藤富蔵。
普通、戦後の日本人洋画家なら、どんな無名作家でもなんらかのマーケットで販売歴をみることできますが、これほどの画歴と作品数を誇る大家でありながら、これまで大手オークションやネットオークションにただの一点すら出回らなかったのは、もはやスピリチュアルや奇跡としか言いようがありません。
文字通り、美術史の地層から奇跡的に発見された「未踏の出土品」です。このタイミングで公開できたのも世界中のオークションハウスが注目の日本の前衛美術界の引き寄せと思ってしまいます。

展覧会図録、画集って作者名を意識しないでペラペラめくった程度でも真の大家ならそれだけで只モノではないことはわかります。回顧展の図録みれば齋藤のそれは圧倒圧巻であり紛れもない巨匠そのものであることは皆様もご理解されることでしょう。
どうぞ、古賀春江、北脇昇、三岸好太郎らシュール先駆者たちと比較されながらじっくりご検討くださいませ。シュールや前衛カテゴリーといえるこの作者は、そのカテゴリー内でいえば、作品の強い主張やストーリー性、支持体上の物質的マチエールの工夫、根本的な描画の技量、この3点をすべてコンプリートされてる作家は戦前戦後、彼だけです。
プライマリーギャラリー、美術館関係者の皆様におかれましても、今後の収蔵・展示をご検討いただく価値が十分にある作家です。

手にされたら近い将来この作品を所有して本当によかった。ご判断がまさに慧眼だったと思っていただけることでしょう。今後市場で流通するであろう作品はほぼ弊社のみであり他は宇都宮美術館と60年くらい前からの有力なパトロンのみで手放さないでしょう。
 まったく市場のデータがないのでお客様の審美眼と私共の信用のみのご判断になりますがシュールの重要作家、北脇昇の4号が毎日オークションで50万円の落札実績がございます。これはかなり参考となるデータでしょう。

紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。

ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。


作家名  齋藤富蔵
タイトル  遊蛾 1964年 (図録Ⅱ-13)
 第10回一陽展出品
 「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館)図録P49掲載
技法  紙にミクストメディア 水彩、アルファメディウムや砂。のちパネルに裏打ち
サイズ  約P40号 102,2*69cm
額サイズ  107,5*74cm
サイン  右下にサインあり。
状態  作品良好。額良好。アクリル板なし。箱なし。
備考  真作保証します。


2016年、宇都宮美術館では「齋藤富蔵展」が開催されました。
齋藤富蔵は、長年にわたり広く知られた作家ではありませんでした。しかし、同展を実際に鑑賞した美術関係者からは、その作品について極めて注目すべき評価が示されています。全国美術館会議の機関誌『ZENBI』Vol.10では、同展について紹介され、図録巻頭論文における宇都宮美術館・谷新氏の見解として、齋藤の表現について、「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」との評価が紹介されています。さらに、齋藤については、「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識」を持つ作家として論じられ、今後の検証によって、戦後美術史に新たな解釈の切り口と可能性をもたらすことが期待される、という趣旨の考察が掲載されています。また、同誌でこの展覧会を論じた足利市立美術館・江尻潔氏も、齋藤の作品について、既存の美術史の主流とは異なる魅力や、同時代の「はやり」に流されなかったことによって生まれた強いメッセージ性に注目しています。

そして、既存の評価軸だけでは捉えきれない作品を見いだすためには、今後「さまざまな尺度」が必要であるとの考察へとつながり、既に評価されている作家と、これまで見落とされてきた作家が新たに結び付くことで、美術史に新しい「星座」が描かれていく可能性が示されています。
これは、単に「知られていない地方作家」という一面的な評価ではありません。

2016年の時点で、全国美術館会議の機関誌において、齋藤富蔵という作家の表現が、既存の戦後美術史の尺度だけでは十分に位置づけられない可能性が、専門家によってすでに指摘されていた。
本作品をご覧いただく際には、現在の市場での知名度だけではなく、こうした既存の美術館・美術関係者による評価も含め、作品そのものをご自身の眼でご判断いただければと思います。
齋藤富蔵の作品が、これからどのような美術史的位置を与えられていくのか。
その可能性を考えるうえでも、2016年の展覧会と、それをめぐる当時の批評は重要な記録の一つです。
そして、これは私自身の評価を押しつけるためのものではありません。
2016年の時点ですでに、美術館関係者によってこうした問題提起がなされていました。ぜひ現在の作品を、皆様ご自身の眼で実際にご覧いただければと思います。
出典:全国美術館会議『ZENBI』Vol.10(2016年)


【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様のご蒐集心よりお待ち申し上げております。


『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ転載
見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに
寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員)
現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。
宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。
その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。


斉藤富蔵展 宇都宮美術館・館長谷新氏 図録序文一部
まだまだ発掘し検証しなければならない作家は多い。宇都宮が生んだ齋藤富蔵という画家もそのひとりである。この画家のことは10年ほど前まではほとんど知らなかった。宇都宮ゆかりの作家のひとりとしてその存在は名前程度に念頭にあっただけである。
10年ほど前、その遺作をまとめて見る機会があって、その表現の特異性に目を見張った。早速、学芸員が調査に入り、展覧会以前にまず遺作のうちの数点の寄贈を受ける。それらのうち何点かはすでに美術館のコレクション展でも展示され、異風を放つその表現に感じ入ったひとも多いだろう。ともかく単純にいって変わっているのである。
変わっているのは根拠や背景がなく変わっているのではない。その表現は、生きた時代や流行の表現状況に類同した表現ではなく、はっきりした自分の立ち位置や絵画に対する考え方が明確に備わっている。くわえてこれらの絵画は、モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、それを実現しようとするコンセプトのほうが先行して顔料などの使用素材、布や紙など支持体の研究がおろそかにされがちである。
齋藤富蔵の表現は、この両方がバランスよく追求されている。というより、表現方法的に見れば、すでにバランスは欠いているといったほうが正確かもしれない。全体をまとめ上げるという表現全体の問題意識と、イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させるばあいが見られるなど、表わされた全貌をもってまとまった絵画とする考え方からはおおいに逸脱しているといわざるをえないからである。両極端、いわば北極南極の両極性に向かって、天秤のバランスをとるようではなく、それぞれの極性に向かって他極をさして考慮しないかのようなディテールへの介入をおこなうのである。それは後述するようにアカデミックな表現観にもとづくのではなく、その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせるだろう。
激動の戦後美術史の多様な表現動向に拮抗し、あるいはそれらを潜り抜けながら齋藤がめざした世界とはいったいどのようなものだったであろうか。国内はもとより海外で今日きわめて高く評価されるようになった「具体」、「もの派」などに代表される日本の戦後美術は、ある特定のエコールに偏重した傾向を近年ますます示しつつあり、同時に解釈もステレオタイプ化して新しく次代に連なる解釈の可能性が見出しづらくなっていることも事実だろう。
齋藤富蔵の表現についてまずいっておかなければならないことは、そうした戦後日本の注目を集めるインターナショナルやグローバルな規範に準拠した表現と比較対照はできるが、むしろそれらとの関係は希薄というに近い、ということである。そうした従来の美術史の水準では語りえない独自の表現を生み育て形成しえたこと、齋藤富蔵はまさにそのことによって戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識を示し、今後さらに検証の機会を積んで、新しい解釈の切り口と可能性を戦後美術史に記すようになるだろう。

【公式図録の検証】マックス・エルンストの『石化した森』を超克した、齋藤富蔵の「執念のマチエール」
——宇都宮美術館・谷新氏が巻頭論文で明かした、世界基準の前衛精神と「遊蛾」の真実
重要作「遊蛾(ゆうが)」約40号の背後には、西欧前衛の巨頭マックス・エルンストとの凄まじい精神的対峙の歴史が隠されています。
旧来の近代美術や日本絵画の生ぬるい情緒の枠組みを遥かに置き去りにする、戦後日本美術史の最大のブラックボックス。なぜ、大正生まれの画家がこれほどまでに垢抜けた現代的センスと、純度100%の清澄な死生観を描き得たのか。宇都宮美術館の公式図録論文において、元館長・谷新氏が明確に論じた齋藤富蔵の「思想の設計図」の本質を、本作の造形と重ね合わせて開示いたします。
■ 1. 実際にアトリエに遺されていた「エルンストの図録」という生々しい物証
公式図録の論文では、「実際自宅にはエルンストの日本で開催された図録もあったという」と、齋藤先生が世界の最前線の前衛ビジョンを生々しく手元に置き、そのマチエール(物質的皮膚)の特異性に強い興味を抱いていた事実が公式に記録されています。
先生は、国立西洋美術館に収蔵されているエルンストの名作『石化した森』に見られる、「物質的な肌合いと、デザインのようなフラットな幾何学形をクロスさせる表現法」に、自身の方法との強烈な類似性を見出していました。先生が1960年の最初期に何度も描いた『大谷石採掘場』における工具の規則正しい横の削り跡のテクスチャが、すでにエルンストの高度な前衛技法(グラッタージュ)と完全に共鳴していたのです。本作「遊蛾」に刻まれた、見る者をねじ伏せるような極厚の物質的マチエールは、まさにこの素材への偏執的なアプローチの歴史から生まれています。
■ 2. エルンストの「偶然」を拒絶し、みずからの「人生訓」を刻んだ野生の強度
しかし、齋藤富蔵はただの模倣者では断じてありません。公式図録は、エルンストと齋藤富蔵の「決定的な違い」をこう結論づけています。
エルンストは、キャンバスの下に木目などを敷いて模様を擦り出す「フロッタージュ(転写法)」や「グラッタージュ(削り取り)」を用いることで、あえて表現者の「精神の反映を遮断(カット)」しようとしました。
それに対して齋藤富蔵は、偶然に頼ることを完全に拒絶しました。本作「遊蛾」に舞う、生を削ぎ落とされたかのような前衛的な蛾(あるいは蝶)の意図的な配置を見てください。先生は、画面にこびりつくような気の遠くなるような細かい描写やハッチングの累積を徹底的な肉体労働(必然の筆致)によって重ねることで、キャンバスの上にみずからの「精神と人生訓」をダイレクトに反映させたのです。この「逃げのない執念の描写力」こそが、西欧の巨匠たちを遥かに置き去りにする、齋藤富蔵という規格外の天才の証明です。
■ 3. 宇都宮美術館・館長 谷新氏の審美眼が引き揚げた「本物の血統」
宇都宮美術館にルネ・マグリットの傑作《大家族》を導入したことでも知られる、日本屈指のキュレーター・谷新氏が、本作をはじめとする齋藤富蔵の遺作をまとめて目撃した際、その表現の特異性に目を見張り、即座に美術館への収蔵と展覧会の主導に動きました。
全国美術館会議の機関誌(ZENBI)において、谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神。彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや、短期決戦的な現在の流行(バブル)を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の職人です。
■ 既存の支援者、指示者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ
直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて売らずに寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。お世話になった方々へ贈り、没後は美術館へ寄贈され、ご遺族が思い出のために僅かに残されていた奇跡の残余だけを、この度当画廊がその未来の命運と共にすべて譲り受けました。
一般市場にお金で買える作品が流通する余地が歴史上まったく存在しなかったからこそ、現在進行形でその相場が創り出されている最中です。1回や2回の落札の有無にかかわらず、この価格と価値のハシゴを当画廊は1円たりとも下げることはいたしません。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。

【造形思想の検証】蛾を物質として盛り上げる「極厚マチエール」の狂気
——ジャン・デュビュフェ、アントニ・タピエスの物質主義と同期する、齋藤富蔵の造形世界
重要作「遊蛾(ゆうが)」約40号は、旧来の近代美術や日本絵画の予定調和な平面描写を遥かに置き去りにする、戦後日本美術史の最大のブラックボックスです。
本作の最大の特質は、画面中央に配された「蛾(あるいは蝶)」のモチーフが、単なる絵の具の着色ではなく、彫刻的なまでに執念深く盛り上げられた「極厚のマチエール(物質的皮膚)」として厚紙に定着している点にあります。
宇都宮美術館の公式図録論文において、元館長・谷新氏、ならびに足利市立美術館・江尻潔氏らが看破した先生の造形精神を基軸に、本作が放つ世界基準の強度を解剖いたします。
■ 1. ジャン・デュビュフェ、アントニ・タピエスとの圧倒的な「物質的同期」
20世紀のフランスが生んだアンフォルメルの巨頭ジャン・デュビュフェは、絵の具に砂や泥、樹脂を混ぜ合わせ、ドロドロとした大地の皮膚のような質感(マチエール)を創り出すことで世界の美術界を震撼させました。また、スペインの巨匠アントニ・タピエスも、画面を執拗に盛り上げ、引っ掻き、物質そのものが放つ「不気味なまでの実体感」を表現しました。
本作「遊蛾」における、絵の具等で物質的に盛り上げられた蛾の立体的な造形は、まさに彼ら世界の巨匠たちが到達した『物質主義(マテリアリズム)』の極致と完全にシンクロしています。先生は、蛾という生命を「記号」として平面的に描くことを拒絶しました。自らの気の遠くなるような肉体労働(必然の筆致)によって、蛾の身体そのものをキャンバスの上に生々しい「質量」として彫刻的に出現させたのです。この逃げのない執念の描写力こそが、本作にただならぬオーラをもたらしている絶対的な根拠です。
■ 2. 宇都宮美術館論文が証明する「制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法」
公式図録の論文において、谷新氏が「イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させる」「その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせる」と大絶賛しているファクト。本作はその言葉を100%具現化したマスターピースです。
全体を小綺麗にまとめ上げるという旧来の調和からは完全に逸脱(エスケープ)し、盛り上げられた蛾のディテールへと他を顧みず介入していく。この、世界の存在の不気味さに直接肉薄するような奇怪なストーリー性と、メタリカルな意匠美の融合は、日本の閉塞した洋画壇のルールを完全に無視し、最初から世界の頂点と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才であることの何よりの証明です。
■ 3. 40号という圧倒的なスケールがもたらす、至高の独占価値
本作は、約40号という画廊やプライベートなコレクションルームの主役を飾るにふさわしい堂々たるスケールを持ちながら、齋藤富蔵先生の旺盛な実験精神のすべてが最高の純度で凝縮されています。
手元でその物質の凹凸に触れるかのような距離で、デュビュフェ級の極厚マチエールと対峙できる本作は、真の審美眼を持つコレクターにとって、これ以上ない贅沢な所有の喜びをもたらします。公立美術館に大作が公式に収蔵されているという絶対的な血統(プロヴェナンス)。直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて売らずに寄贈・市場流通ゼロ」という気高さ。
この封印されていた新発見の相場を、お預かりした作品一点一点の真価に見合った正当な格式のまま、未来へ誠実に引き継いでいくことが、齋藤富蔵先生の芸術に対する責任であると確信しております。


《遊蛾》について
齋藤富蔵の作品群を俯瞰すると、「蛾」は単なる昆虫として扱われていないことが分かります。
1960年代半ばの《自蛾像》シリーズにおいて、作家は自らを蛾になぞらえた独特の表現を展開しました。
本作《遊蛾》は、その後年に位置づけられる作品として興味深い存在です。
《自蛾像》に見られた内省的な緊張感を残しながらも、本作ではより自由で幻想的な空間が展開されています。

齋藤富蔵作品に繰り返し登場する蝶や蛾のモチーフを理解する上でも、本作は重要な位置を占める一作といえるでしょう。

International shipping available

¥537,000 ($3,396.44)

最近チェックした商品
    その他の商品