1/20

シュールの鬼才,齋藤富蔵,土器のスケッチブック,31作,白木屋ペルシャ展覧会の壺,近代画壇史上最高峰の天才的素描,宇都宮美術館出品作

¥662,000($4,187.05)

残り1点

International shipping available

シュールレアリズムの国内の歴史を塗り替える巨匠が令和になって奇跡的に発見となりました。

ルネ・マグリットを彷彿とさせる、静謐でありながら圧倒的な超現実(シュルレアリスム)の世界観。これほどの才能を持ち、海外マーケットでも十分に評価され得る真の巨星が、なぜこれまで市場の陰に埋もれていたのか。

国内屈指のシュールレアリスムコレクション、教科書レベルの日本の財産、(マグリットの至宝《大家族》)を誇り、攻めた企画展で公立美術館トップクラスの評価を得る宇都宮美術館。学芸員レベルも公立最高水準。館長は民間出身の大物キュレーター、その名門が、同郷である齋藤富蔵の封印を解き、約140点にも及ぶ大回顧展「齋藤富蔵展」を2016年に開催されたは決して偶然ではありません。

日本で最もマグリット(シュルレアリスム)の美徳と文脈を知り尽くしている谷新館長と学芸員チーム。その彼らが、自館の象徴であるマグリットの超現実主義と共鳴し、あるいはそれを日本的な抒情で超克するような「齋藤富蔵の詩的シュルレアリスム(精緻な風景と巨大な蝶・牛の対比)」を見逃すはずがなかったという事実。

宇都宮美術館の「本気」の意味はたとえば稟議・・ 公立美術館では、学芸員の提案が委員会・教育委員会・市議会を経て承認される。 つまり「一人の学芸員の情熱」だけでは動かない。  斎藤富蔵展は、複数の専門家が「文化的意義あり」と判断した結果でございます。

著名巨匠の回顧展レベルの図録制作の異例性・・ 無名作家に分厚い図録を制作するのは極めて稀。  これは「後世に残すべき作家」としての記録保存を目的としたもの。 つまり、学術的評価の確定宣言です。

マグリットとの文脈的連動・・・ 宇都宮美術館が開館のタイミングで約6億2千万円もの巨費を投じてマグリット「大家族」を所蔵していることは象徴的。その思想的系譜を日本で継ぐ存在として斎藤富蔵を位置づけた可能性が高い。  これは単なる展覧会ではなく、美術史の再構築プロジェクトといえましょう。

宇都宮美術館初代館長、谷新氏が陣頭指揮した回顧展であること・・本作は、宇都宮美術館において開催された 「斎藤富蔵展」に出品された作品です。本展は、政治的、名誉職的な館長ではなく、 コンテンポラリーアート界隈、アートマーケット、アートフェアを熟知する“批評家出身の本物の館長”谷新氏が自ら陣頭指揮して推し進めた回顧展である点が極めて重要です。
谷新氏は1947年長野県岡谷市生まれ。 『みづゑ』800号記念評論で一席入選後、 『みづゑ』『美術手帖』などで現代美術批評を執筆し、 1989年に美術評論家として独立。
その後、パリ・ビエンナーレ(1977)作家推薦、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(1982・1984)、光州ビエンナーレ(2000)アジアセクション・コミッショナー、水と土の芸術祭 総合ディレクター(2018)など、国際展の最前線で活躍、いわば日本の現代美術を国際舞台へ送り出す“最高レベルの役職といえます。 伊藤公象(物質の前衛)、川俣正(空間の前衛)、田窪恭治(宗教空間の前衛)、堀浩哉(思想の中核)、彦坂尚嘉(情報・社会批評)、北山善夫(関西前衛の精神性)これらはすべて、 日本の現代美術の本流をつくった作家たちを世界へ紹介してきた人物です。その谷新氏が、 宇都宮美術館の初代館長として20年間在任し、 斎藤富蔵の回顧展を“美術史的必然”として位置づけた。これは、地方館の企画ではなく、 美術史の本流をつくってきた人物が選んだ作家であるという事実です。
ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナーは、 日本の現代美術の代表を選ぶ立場。つまり、 美術史の“選者”であり、価値の決定者。その人物が斎藤富蔵を選んだ= 美術史的必然の証明です。

宇都宮美術館は斎藤富蔵を 「戦後美術史の空白を埋める作家」 と明言している。これは地方館の扱いではなく、 谷氏、学芸員さんが「美術史的再検証の対象」として扱ったという事実。美術館が140点もの図録を作るのは、 思想・技法・歴史的意義が揃った作家にしか行われない。マグリットを日本で最も知り尽くした谷氏、学芸員さんたちが、その運命の引き寄せに震え、「この才能を日本美術史へ還さなければならない」と確信したからに他なりません

☆谷館長が物故された2年後の2020年に開催された「宇都宮美術館開館25周年記念展」の公式チラシでは、 約6800点の収蔵作品から200点あまりの名品を選りすぐりさらに美術館がチラシ用に“収蔵品の顔”として選んだ16点の図柄の中に、 斎藤富蔵がマグリット、デュフィ、カンディンスキー、恩地孝四郎、杉浦非水と同列に配置されています。これは、美術館が斎藤富蔵を “別格の巨匠”として扱っている確定証拠です。

日本のシュールレアリズム作家といえば福沢一郎、古賀春江あたりではないかと思います。齋藤は、福沢の知的構成力と古賀の幻想性を継承しながら、 それを「自然への倫理」「社会への諷刺」「自己の変身」という三層構造に昇華しています。 つまり、日本のシュルレアリスムを“思想として完結させた”唯一の画家といえるでしょう。
福沢一郎や古賀春江が日本のシュルレアリスムの「始原」を担ったとすれば、齋藤富蔵はその思想を日本的倫理と自然観の中で成熟させた“終章の作家”です。つまり、系譜の頂点、最終到達点に位置づけても不自然ではありません。また国内の著名なシュール作家は日本国内でしか評価されませんでした。それら巨匠たちは海外のオークションハウスの出品歴は皆無であり、齋藤の作品はその国際規格な作風やシュールに珍しい国内唯一の大作主義、ネットの市場データゼロなどからいいまして唯一の海外候補ともいえます。

■ 齋藤富蔵の革新的作風 油彩を凌駕する “物質的マチェール”の境地・・齋藤作品の真骨頂は、従来の水彩画(みずゑ)(晩年ガッシュ)の概念を根底から覆す重厚な画肌(マチエール)にあります。単なる油彩絵の具の厚塗りではなく、砂や土、有機物といった絵画材料以外の物質を巧みに混入してベースを力強く盛り上げ、その表皮を滑らかな水彩顔料(アクリル)で繊細かつ丹念に描き出す。この「水性顔料による物質的マチェール」は、戦後のジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェ(アール・ブリュット)、アンフォルメル運動、そしてパンリアル美術協会の革新運動とも深く拮抗する、日本美術史において極めて重要な技法論的価値を持っています。

本作は1964年に開催された「第1回斉藤富蔵個展 ペルシアの壺に主題して」(宇都宮東電サービスセンター)出品作品でございます。この壺たちは1961年に日本橋白木屋で開催された「ペルシャ美術展」と「ペルシャ名陶展」に出品された壺を約20日間現物写生したもので神田文房堂さんのスケッチブックに27枚収まっております。
宇都宮美術館で開催された「斉藤富蔵展」にも出品され図録には内7点掲載されております。
作品数で云えば31作品描いており、ページで云えば27ページ分の作品が収まっております(2ページ使って1点描いてる作品は1ページとみなしてます)

斉藤富蔵の素描・・

1. 質感の表現力:点描とクロスハッチングの狂気的な密度、最も驚異的なのは、この土器の「マチエル」の表現です。無数の点の集積: 単に鉛筆やペンで線を引いて陰影をつけるのではなく、微細な点や短いストロークを気の遠くなるような密度で重ねることで、古い土器特有の「ざらざらとした土の粒子」「経年変化による風化」「湿り気を含んだような重み」が見事に再現されています。光と影のグラデーション: 粗い土の質感を保ったまま、光が当たっている上部から、強く影が落ちている下部・底部にかけての陰影の移行が極めて滑らかです。これは、インクの密度を完全にコントロールする卓越した手先の技術(制御力)がなければ、途中でダマになったり画面が汚れたりしてしまい、絶対に成立しません。

2. 細部の描写密度:ディテールへの偏愛と正確な空間把握取っ手や注ぎ口、そして上部に配された動物(あるいは霊獣)のような意匠の細部において、その基礎体力の高さが伺えます。立体的な回り込み: 取っ手の縄目のうねりや、注ぎ口の直線的なフォルムが、球体である胴体に対して正確な遠近法で接合されています。「硬さ」の描き分け: 胴体の土の柔らかさ・脆さに対して、取っ手や金属的な接合部を思わせる部分の「硬質感」が、ハイライトと影のキレによって明確に描き分けられています。単に「一様に細かく描いている」のではなく、素材の硬軟を光の処理でコントロールしています。

3. 構図:古典的でありながらモニュメンタルな存在感画面中央にどっしりと配された、一見オーソドックスな静物画の構図ですが、計算されたバランスの上に成り立っています。重量感(重心)の正確さ: 水注が床にしっかりと接地し、その自重で佇んでいるという「質量」が、底部の影の落とし方と全体のプロポーションによって完璧に表現されています。サインと落款の配置: 画面右下あるいは左下に配された「Tomi. Sai. 1961.」のサインと赤の落款が、絶妙な「重し」として機能しており、画面全体の左右のバランスを美しく完結させています。

知られざる作家と現状いうしかない作家ながら、このような素描の腕前は近代洋画壇の著名巨匠より圧倒的に齋藤が概ね上といわざるを得ません。それはアカデミック側の教育者やキュレーターさんもこのスケッチブックのみで認めるでしょう。私共がひとつだけ云わせて頂けたら「執念」でございます。
ネットでの履歴ゼロ、そしてこの神がかった素描の技、なにもかもが恐ろしいほどの奇跡でございます。

ちなみに当時1964年、これをみたあるお客様が30万円で売ってくれとおっしゃったそうですが即座に断られたそうです。当時の換算額でいえば130万円から340万円以上でしょう。(参考は大卒初任給比較、消費者物価指数比較)なんとも今も昔もすばらしい目利きさんが存在しました。白髪一雄を90年頃100号を10万円、草間の原画を60年に1万円で買った方もいたように。宇都宮美術館様は斎藤富蔵の良い作品を数点ご遺族様から寄贈されました。それは確かなチョイスでしたがこれは本当に全部素晴らしい富蔵作品の中でも選択から漏れてよかった最たる一枚です。

紀尾井町の弊社画廊にて展示中の為、ご入札を頂く前にお店で販売した場合、削除いたしますことご容赦くださいませ。
ご検討、ご入札の程、どうぞよろしく御願い申し上げます。


作家名  齋藤富蔵
タイトル  スケッチブック 31作 
 第1回斉藤富蔵個展出品 1964年
 「齋藤富蔵展」出品(2016年 宇都宮美術館) 
技法  紙に鉛筆や水彩、パステルなど(画像でご判断下さいませ)
サイズ  シートサイズ33*33cm 中には1ページで4点描いてたり2ページで1点描いてる作品がもございます。画像でご確認お願いします。
額サイズ  なし
サイン  すべてにサイン、印あり。1ページに4点描いてる作品は印は中央に1個です。1ページに2点描いてる作品は上部に1個の印あり。
状態  作品大体良好。しみがあるものもございます。画像を参考に自己責任でお願いします。
備考  真作保証します。

【造形思想の検証】世界の前衛理論を肉体労働(圧倒的画力)で具現化した孤高の職人
——図録の遺品が明かす、シュールレアリスムの巨人たちとの精神的対峙
近年、ご遺族の元から齋藤富蔵先生の直筆ノート(全作品目録)とともに、先生が生前、生涯にわたってアトリエの机に置き、自らの造形思考の骨格としていた「マックス・エルンスト展オフィシャル図録(巌谷國士氏・訳)」が発見されました。
本作から溢れ出る、旧来の近代美術や日本絵画の枠組みを遥かに置き去りにするあの「純度100%の清澄な結界」と、深層心理に肉薄する奇怪なストーリー性のすべての謎は、この一冊の図録が雄弁に証明しています。先生は、世界最高峰の思想家たちが残した前衛の数式を完全に自らの血肉とし、キャンバスの上で完璧に実行に移していました。
観る者がその必然性を深く理解できるよう、図録に刻まれた3つの思想との共鳴をここに証明いたします。
1. アンドレ・ブルトンの「外観の模倣を拒絶する線」の実行
シュールレアリスムの創始者であり法王であるアンドレ・ブルトンは、同誌において『外観の模倣(見たまんまを写し取るだけの退屈な写実)ときっぱり手を切るべきだ』と説き、ただ奇妙な記号をパズル感覚で並べ立てるだけの『ただ好みの配列に甘んじること』を前衛として冷徹に拒絶しました。
先生は、1960年の裸婦素描が証明している通り、完璧なデッサン力という圧倒的な基礎体力を持ちながらも、このブルトンの思想を具現化するために、写真を模倣するような「正しいだけの写実」をきっぱりと捨て去りました。現実にあるモチーフ(壺、樹木、草原、蝶)を冷徹に扱いながらも、その外観の模倣を拒絶し、物質が放つ独自の質量(マチエール)と非日常の配置(デペイスマン)へと突き進んだのです。
2. ルネ・クレヴェルの「木こりと家具師」の比喩の超克
詩人ルネ・クレヴェルは、目の前にある自然をただ重厚に、詩情豊かに写し取るだけの従来の画家たちを『これまで通り木を切り倒しているだけの木こり』と評し、そこから全く新しい宇宙(星座)を創り出す前衛の画家を『巧みな家具師』と呼びました。
齋藤富蔵のキャンバスは、まさにこの「巧みな家具師(職人)」の仕事そのものです。ただの風景画に蝶を好みの配列で並べたのではない。観る者を日常から一瞬で隔離し、深層心理へと案内するための『目に見えない真昼の鳥』として、あの生を削ぎ落とされた奇怪な蝶たちを画面に解き放ったのです。この「線の設計の強靭さ」において、先生の表現は旧来の日本絵画の到達点を遥かに凌駕しています。
3. ジョージ・バタイユの「真面目な労働」を越えた「死生観」の定着
思想家ジョージ・バタイユは、ただ既存のルールに従ってキッチリと物を作るだけの職人を『指物師や錠前師のまね』と批判し、世界の境界線を破壊して無意識の深淵へ命を懸けて突入していく表現を『思考の死に身をゆだねる現実の外側』と評しました。
先生が自らのデッサン力を極限まで引き算し、画面のミリ単位の隙間すらも執念深い点描とハッチングの積層で埋め尽くしたのは、このバタイユの言う「死と生の境界線(死生観)」をキャンバスの上に現出させるための、求道的な狂気の歴史に他なりません。カゴメの創業者へのオマージュでありながら、トマトの赤もご尊顔も一切描かず、天に浮かぶ断層の質量と地に佇む神殿だけを配した『天と地(存在の秘密にせまる)』P100号のあの完璧な引き算の空間こそ、バタイユが説いた「現実の外側の宇宙」そのものの具現化です。
■ 既存の支援者、そして真の審美眼を持つコレクターの皆様へ
2016年の全国美術館会議(ZENBI)において、宇都宮美術館・谷新氏らが「従来の美術史の水準では語りえない独自の表現」「戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性」と評したその精神的ルーツが、この遺品(エルンストの図録)によって完全に証明されました。
彼は日本の閉塞した洋画壇のルールや商業市場を完全に無視し、最初から世界の頂点(国際基準の前衛)と真っ向から魂を響かせ合っていた孤高の天才です。
直筆ノート(レゾネ)が明かした「手元に置く以外はすべて寄贈・市場流通ゼロ」という高潔な血統。歴史の闇に封印されていた「本物の怪物」が、今、開かれたマーケットへと初めて解禁されます。歴史の先取り(インサイダー・バリュー)に挑むにふさわしい、真の審美眼を持つコレクターの皆様の、厳か成るご参加を心よりお待ち申し上げております。


『新美術新聞』2016年2月21日号(第1401号)1面トップ
見出し:齋藤富蔵展 ──戦後水彩画の再考促すきっかけに
寄稿:前村文博(宇都宮美術館学芸員)
現在、地方都市宇都宮でも齋藤富蔵という画家の名前を知っている人はごく稀であろう。齋藤は原則として絵を売らず、自作の表現の場として限られた、植樹の他の画廊とも親交をむすぶことをせず、ただひたすらに制作に精魂を傾けていた。
宇都宮市に生まれ、地元の商工学校で商業美術を学んだ後、京都で仏画の修業をなし、ほどなく東京に移り住み、水彩画の革新者として活躍していた中西利雄や荻原賢児に師事する。技法的な制約からややもすれば表現の幅が狭められがちであった水彩画を、油彩画と同様の厳然とした造形原理に基づいた芸術へと高めようと奮闘したこの二人の師の教えは、齋藤の芸術にも引き継がれた。
その典型例が、一般的な水彩画のイメージとはかけ離れた重厚であるその特徴は、本展にむけた調査で齋藤が「アルファ・カラー」という画材を使用していたことが判明した点だ。アルファ・カラーは1963(昭和38)年にターナー色彩株式会社から発売された、国内初の水性樹脂絵具である。その特徴は、水で溶いて描くことができ、いったん乾くと耐水性になりヒビ割れや剥離がしにくくなる点である。いまひとつは絵具の厚塗りが容易にできる点である。色彩と立体的で厚みをもったマチエールは、光の変化や見る角度によってその表情を大きく変え、深みのある表現を生み出している。

斉藤富蔵展 宇都宮美術館・館長谷新氏 図録序文一部
まだまだ発掘し検証しなければならない作家は多い。宇都宮が生んだ齋藤富蔵という画家もそのひとりである。この画家のことは10年ほど前まではほとんど知らなかった。宇都宮ゆかりの作家のひとりとしてその存在は名前程度に念頭にあっただけである。
10年ほど前、その遺作をまとめて見る機会があって、その表現の特異性に目を見張った。早速、学芸員が調査に入り、展覧会以前にまず遺作のうちの数点の寄贈を受ける。それらのうち何点かはすでに美術館のコレクション展でも展示され、異風を放つその表現に感じ入ったひとも多いだろう。ともかく単純にいって変わっているのである。
変わっているのは根拠や背景がなく変わっているのではない。その表現は、生きた時代や流行の表現状況に類同した表現ではなく、はっきりした自分の立ち位置や絵画に対する考え方が明確に備わっている。くわえてこれらの絵画は、モチーフや描こうとしている世界はもとより、それを実現する表現法やキャンヴァスなどの表現媒体におよぶ旺盛な実験精神によって貫かれている。ふつう実験精神が勝ると、それを実現しようとするコンセプトのほうが先行して顔料などの使用素材、布や紙など支持体の研究がおろそかにされがちである。
齋藤富蔵の表現は、この両方がバランスよく追求されている。というより、表現方法的に見れば、すでにバランスは欠いているといったほうが正確かもしれない。全体をまとめ上げるという表現全体の問題意識と、イメージにおいては執拗にディテールに突っ込み、マチエールでは極度に物質感を意識させるばあいが見られるなど、表わされた全貌をもってまとまった絵画とする考え方からはおおいに逸脱しているといわざるをえないからである。両極端、いわば北極南極の両極性に向かって、天秤のバランスをとるようではなく、それぞれの極性に向かって他極をさして考慮しないかのようなディテールへの介入をおこなうのである。それは後述するようにアカデミックな表現観にもとづくのではなく、その制御や秩序をあえて崩壊に向かわせるバロック的表現法を思わせるだろう。
激動の戦後美術史の多様な表現動向に拮抗し、あるいはそれらを潜り抜けながら齋藤がめざした世界とはいったいどのようなものだったであろうか。国内はもとより海外で今日きわめて高く評価されるようになった「具体」、「もの派」などに代表される日本の戦後美術は、ある特定のエコールに偏重した傾向を近年ますます示しつつあり、同時に解釈もステレオタイプ化して新しく次代に連なる解釈の可能性が見出しづらくなっていることも事実だろう。
齋藤富蔵の表現についてまずいっておかなければならないことは、そうした戦後日本の注目を集めるインターナショナルやグローバルな規範に準拠した表現と比較対照はできるが、むしろそれらとの関係は希薄というに近い、ということである。そうした従来の美術史の水準では語りえない独自の表現を生み育て形成しえたこと、齋藤富蔵はまさにそのことによって戦後美術史にこれまで看過されてきた表現性と問題意識を示し、今後さらに検証の機会を積んで、新しい解釈の切り口と可能性を戦後美術史に記すようになるだろう。

Tomizo Saito: Official Art Historical Essay
The discovery of Tomizo Saito’s handwritten logs (catalogue raisonne) and his copy of the Max Ernst Catalogue (translated by Kunio Iwaya) marks a monumental revelation in post-war Asian art. Saito’s oeuvre supersedes traditional Japanese modern art by internalising the radical mechanics of European Surrealism through rigorous physical execution.
His structural fortitude echoes three distinct ideological resonances:
1. Andre Breton: The Repudiation of Mimesis
Breton demanded an "absolute rupture with the mimesis of external appearance." Saito, possessing extraordinary academic draftsmanship, renounced mimetic realism. Treating motifs like pottery and butterflies with forensic precision, he deployed a dense, structural matiere that forces a psychological threshold (depaysement).
2. Rene Crevel: The Master Artisan
Crevel crowned the true avant-garde visionary as the "master artisan" capable of forging structural marvels. Saito’s canvas operates precisely as this artisan, liberating fossilized butterflies into the pictorial space like "invisible midday birds wandering through midnight clouds," severing the viewer from daily reality.
3. Georges Bataille: Beyond Industrious Labor
Bataille argued that true sovereignty requires a violent plunge into the "outer limits of reality." Saito’s obsessive method of saturating the canvas represents a visceral manifestation of this existential territory. His masterpiece "Heaven and Earth," dedicated to Kagome founder Ichitaro Kanie, perfectly encapsulates this by omitting literal commercial iconography. The staggering geological mass suspended against a motionless temple is the formal realization of Bataille’s "outer limits."
Conclusion
In ZENBI (Vol.10), curators validated Saito’s expression as "a singular methodology that cannot be articulated by conventional art historical standards." Operating entirely outside the commercial gallery system, this solitary master dedicated his virtuosity exclusively to his private patrons. Validated by a pristine provenance, this closed time capsule is now finally opened to the global art market.
Presented by Tsukuba Shokai Gallery.
#TomizoSaito #Surrealism #PostWarArt #MaxErnst #TsukubaShokaiGallery

International shipping available

¥662,000 ($4,187.05)

最近チェックした商品
    その他の商品